世界的ストライカー、ルーカス・ポドルスキ選手の加入が決定
2017年3月2日、ヴィッセル神戸はルーカス・ポドルスキ選手の完全移籍加入を発表した。
ドイツ代表で10番を背負った世界的ストライカーが日本にやってくる。
昨シーズンのリーグ得点王でもありヴィッセル神戸のエースであるレアンドロ選手が開幕戦で大きな怪我をしてしまった事もあって、クラブは当初3月中の合流を希望していたようだ。しかし、現在所属しているトルコリーグの名門ガラタサライもシーズン中という事もあり、また本人もシーズン終了まではガラタサライでプレーしたいという希望もあったようで、どうやらチームに合流するのはガラタサライのシーズン終了後の見込みだ。
Jリーグでは選手の登録期間をシーズン開幕前後の2017年1月6日(金)~3月31日(金)の12週間と、2017年7月21日(金)~8月18日(金)の4週間と定めているので、3月31日までの選手登録が間に合わないと、7月21日以降。デビューは7月29日の明治安田生命J1リーグ第19節、本拠地ノエビアスタジアム神戸での大宮アルディージャ戦となるようだ。
ポドルスキ選手のこれまでを振り返る
ルーカス・ポドルスキ選手は1985年6月4日生まれの32歳。
出身はポーランドで、サッカー選手の父とハンドボール選手の母との間に産まれている。そして祖先がドイツ系移民だという事でポドルスキ選手が2歳の時にドイツに移住した。しかしポドルスキ選手は自身のルーツであるポーランドの事も大切にしており、「私の身体の中に二つの心臓が鳴り響いている」とも語っている。
ポドルスキ選手がサッカーを初めたのは地元の小さなクラブだが、その後10歳の時に現在大迫勇也(おおさこゆうや)選手がプレーする1FCケルンの下部組織に加入するとそこで頭角を表し始め、アンダーカテゴリーのドイツ代表チームに選ばれるようになる。トップチームに昇格したのは18歳となった2003年。
2003-2004シーズンの第13節ハンブルガーSV戦でトップチームデビューを果たし、第16節のハンザ・ロストック戦で初ゴールを決める。しかしかつて名門と呼ばれた1FCケルンも、当時はエレベータークラブと呼ばれ1部昇格と2部降格を繰り返している状態で、この年も2部リーグに降格した。
デビュー2年目のシーズンで2部リーグの得点王に
2部リーグで戦う事となった2年目のシーズンだが、結果的にこのシーズンがポドルスキ選手の成長に大きく役立つ事となる。
1年目はリーグ戦18試合のみの出場に終わったが、2年目のシーズンはリーグ戦全34試合中30試合に出場。しかもそのうち29試合が先発で、28試合はフル出場と完全にチームの中心選手となり24得点を挙げブンデスリーガ2部の得点王になる。さらにアシストも11を記録し、ポドルスキが引っ張る形で2部リーグでの優勝を達成。サポーターから「プリンツ・ポルディ」と呼ばれるほどのチームのアイドルとなったのだ。
3年目のシーズンとなった2005-2006シーズンは、開幕前には当時のドイツ代表監督であったルディ・フェラー氏にポルトガルで行われた2004年欧州選手権直前のドイツ代表に初招集され、そのまま引き続き欧州選手権のメンバーにも選ばれた。またリーグ戦では、34試合中32試合に出場し12得点7アシストを記録し、名実共にドイツを代表するストライカーとなっていく。
クラブでは出場機会を減らすも代表では大活躍を見せる日々
その後ポドルスキ選手はドイツが誇るスター軍団バイエルン・ミュンヘンに移籍する。
しかし当時のバイエルン・ミュンヘンにはオランダ代表のロイ・マカーイ選手がエースとして存在していた為に途中出場がほとんどだった。また怪我も多くレギュラーポジションを獲得するまでには至らなかった。
しかし一方でドイツ代表チームではケビン・クラニィ選手やミロスラフ・クローゼ選手らとの2トップで大活躍。自国開催のコンフェデレーションズカップ、ワールドカップ共に代表メンバーの一員となりゴールを量産する。
バイエルン・ミュンヘンには3シーズン在籍したものの、いずれのシーズンもポジション獲得にまでは至らなかった為に、出場機会を求めて2009-2010シーズン開幕前に古巣である1FCケルンに復帰が決定する。この時期にはちょうど現在浦和レッズでプレーする槙野智章(まきのともあき)選手も1FCケルンに所属していた。
またこの復帰にあたっては、元F1チャンピオンであり、サッカーファンとしても知られるミハエル・シューマッハ氏が、ケルンの公式サイトのトップバナーを購入する形で資金援助も行った事も大きな話題を集めることとなった。
ドイツ代表のエースストライカーに
その後クラブではアーセナルに移籍する。加入した直後のシーズンはリーグ戦、チャンピオンズリーグ、カップ戦をあわせて39試合に出場するが、2シーズン目からはベンチスタートが増えることになった。
しかしそんな中でもドイツ代表では背番号を10番に変えて不動のレギュラーに。ポジションをこれまでのトップから左サイドに移すが、ヨアヒム・レーヴ監督率いるドイツ代表の流動的な攻撃におけるフィニッシャーとして2008年欧州選手権の準優勝、2010年南アフリカワールドカップの3位に大きく貢献する。2014年のブラジルワールドカップ、2016年の欧州選手権のメンバーにも選ばれるがこの欧州選手権限りでの代表引退を発表する。
2017年3月22日に行われたイングランド戦が代表チームでの引退試合となった。
ポドルスキ選手のプレースタイルは?
これまで多くのゴールを記録してきた様にポドルスキ選手はストライカーだ。
しかし、1人でボールを受けてドリブルで相手を抜いてゴールを決めるという選手ではない。
また相手を背負ってのポストプレーや、ディフェンスラインの背後のスペースに飛び出す様な動きもそれほど得意ではない。代表チームでは左サイドでプレーする機会も多くあったが、守備も得意ではない。
この辺りがバイエルン・ミュンヘンやアーセナルなどでレギュラーポジションを獲得するまでに至らなかった理由だろう。
この事からもわかるように決して色々なプレーができる選手ではない。
しかし左足のシュートは世界最高レベル。時にキャノン砲とも呼ばれる強烈なシュートは精度も兼ね備えており、少々距離があっても関係なくネットに突き刺すことができる。そしてその左足の精度の高いキックで味方に合わせるプレーも得意だ。
ヴィッセル神戸で是非注目なのがその左足だ。1人で何かできる選手ではないのでチームとしてポドルスキ選手が活きる形を作る必要があるが、そこは名将ネルシーニョ監督。しっかりとその武器を活かす形をつくってくるだろう。
早くポドルスキ選手のプレーを生で見てみたい。