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「天才」家長昭博の終わらない旅


1986年6月13日生まれ

1986年6月13日、日本サッカーに大きな影響を与える選手が産まれた。 その選手とは、後にACミランの10番を背負い、ワールドカップでも見事なフリーキックを決めた本田圭佑選手だ。三浦知良選手、中田英寿選手、中村俊輔選手ら、これまで日本代表を引っ張ってきた選手と同じく、サッカー日本代表、そして日本サッカー界を語る上では欠かす事が出来ない人物だろう。
そしてもう1人、本田圭佑選手と全く同じ日に産まれたのが家長昭博(いえなが あきひろ)選手だ。 同じ誕生日、同じ利き足を持つ2人は、同じガンバ大阪ジュニアユースでチームメイトとなる。
しかし、この2人の内でガンバ大阪のユースチームに上がったのは、家長選手だけだった。本田選手はユースチームに昇格できず、星稜高校に進む事となる。
この後、現在までのキャリアを考えると、このガンバ大阪の判断は間違っていたと考える方もいるかも知れない。しかし、その能力・ポテンシャルを考えるとより底がしれないのは家長選手なのだ。
早くから育成組織の重要性を捉え尽力し、ガンバ大阪の育成を支えた、上野山信行氏にとっても、稲本潤一選手、宮本恒靖選手、新井場徹選手、大黒将志選手、宇佐美貴史選手らガンバ大阪から巣立っていった数多くのタレントの中で、最も優れていた選手は家長選手だと語っている。

高校2年生にしてトップチームデビュー、そしてゴール、その後大怪我

ユースでは、天才選手として知られていた家長選手。高校2年生になると、ユースチームに所属しながら、2種登録選手としてトップチームに帯同することになる。そしてデビュー戦となったアルビレックス新潟との試合で、いきなりゴールも決める大活躍をみせ、その直後にプロ契約を獲得する。ユースチームに所属する高校2年生の選手だったが、卒業の1年以上前にプロ選手となったのだ。
この時、すでにガンバ大阪の中心選手としてプレーしていた遠藤保仁(えんどう やすひと)選手は、サッカー人生のなかで衝撃を受けた選手の一人として、トップチームに昇格したばかりの家長選手の名前を挙げていた事もあった。
当時のガンバ大阪は、新井場選手が鹿島アントラーズに移籍した事で左サイドの選手を求めており、その穴を埋めたのが家長選手だった。本来は中央でプレーする選手なのだが、変幻自在のドリブルでガンバ大阪のサイドアタックを支えたのだ。
しかし、徐々に本来のポジションではなかった事もあって出場機会を減らす。またその後、当時のガンバ大阪監督であった西野朗氏が家長選手をメッシに例え、3トップの右をテストしたりもしたが、得意なポジションの先発を争うのが遠藤選手や二川選手、橋本選手などの既に実績十分の選手。
この牙城を崩しきれず出場機会を減らすこととなり、出場機会を求めて大分トリニータに期限付き移籍をする。しかしここで十字靭帯損傷の大怪我をおい、いつしかあまり名前を効かない存在へとなっていた。

現在のスタイルを掴んだレヴィー・クルピ監督との出会い

家長選手が鮮やかに復活したのは、セレッソ大阪での2010年だった。香川真司選手、乾貴士選手、清武弘嗣選手らを育て上げた名将レヴィー・クルピ監督の下で3シャドゥの1人として大活躍をしたのだ。
レヴィー・クルピ監督に与えられた家長選手の役割は、香川選手や乾選手、清武選手らを率いるコンダクター。大怪我をする前の様に、ドリブルでどんどん相手を抜いていくという様なプレーは見せなくなったが、まるでフランス代表の10番を背負ったジダン選手やアルゼンチン代表の10番を背負ったリケルメ選手の様に、抜群のキープ力を活かしてチャンスを量産するようになったのだ。
セレッソ大阪は、J2からの昇格初年度ながら4位となりAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得するなど、躍進の大きな原動力となった。
シーズン終了後には、スペインのRCDマヨルカに移籍する。スペインリーグ特有の戦術的クオリティの高さの中、家長選手は外国人選手相手でも抜群のキープ力を披露するが、出場機会を得る事ができなかった事で移籍を決意。新天地として選んだのは韓国だった。
当時の家長選手には、ガンバ大阪だけでなく、自身が復活し、愛着もあると語っていたセレッソ大阪からもオファーがあったと言われていたが、選んだのは全く異なる環境だった。
そしてその後、韓国から一時的にガンバ大阪へ期限付き復帰を果たすが、再びスペインに復帰となる。

大宮アルディージャで見せた絶対的な存在感

レヴィー・クルピ監督との出会いにより掴んだプレースタイルの集大成としての姿を見せたのは、大宮アルディージャでプレーした2014年から2016年の3年間、特に抜群の存在感を発揮した2015年、2016年ではないだろうか。
2014年シーズン途中に就任した渋谷洋樹監督は、残念ながらシーズン序盤の影響で大宮アルディージャをJ1残留に導く事はできなかったが、2シーズン目となった2015年J2での戦いは理論的にサイドを崩し、秩序を持った守備を見せる事で圧倒的な強さを披露した。 その中で家長選手のキープ力は大きな効果を発揮する。
またここまで様々な場所でプレーしてきた経験からくるのか、2010年のセレッソ大阪時代にはまだ時折みせていた足を止めてしまうような事もほとんどなくなった。
1年でのJ1復帰を果たした2016年には、クラブ史上最高順位となる5位を記録。家長選手もJ1でのキャリアハイとなる11得点を記録し、チームの大黒柱となっていた。

新たな挑戦を選び、終わりなき旅は続く

これまで7回に渡る移籍を経験してきた家長選手だが、ここ2年のプレーでようやく腰を落ち着ける場所を見つけた、大宮アルディージャが家長選手にとって安住の地となるのではないかと思わせていた。 しかし、家長選手が選択したのは新たなる挑戦、川崎フロンターレへの移籍だった。
この移籍に関して家長選手は、2017年1月22日に行われた川崎フロンターレの新体制発表会で「30歳を迎えて、さらなる挑戦をしたかった。このクラブには憲剛さんという、36歳の年齢でMVPを獲得した選手がいる。自分も攻撃的なスタイルを築く川崎で、成長したい。川崎はパス回しやトラップが細かく正確。身体能力はもう伸びないが、そういう要素やポジショニングはまだまだ伸ばせる」とその理由を語っている。
家長選手にとってサッカーは常に挑戦するもの、そしてこれまでの7回の移籍すべてがその挑戦を求めてのものなのだろう。
全く同じ生年月日の本田圭佑選手とは全く異なるキャリアを歩みながらも、その存在感を大きくし、今でも「天才」とよばれる家長選手。 川崎フロンターレで「天才」がどういった進化を見せるのか楽しみだ。

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