大学ナンバーワンストライカー、赤崎秀平選手
関東大学サッカーを知る人にとって筑波大学の赤崎秀平(あかさきしゅうへい)選手は少し特別な存在かもしれない。
それまで関東大学リーグ戦での通算最多得点記録は、現在ヴィッセル神戸でキャプテンを務める渡邉千真(わたなべかずま)選手の37得点だったが、赤崎選手はこの記録をなんと3年生で更新する。
当時の筑波大学は、後に川崎フロンターレの監督に就任し、現在名古屋グランパスの監督を務める風間八宏(かざまやひろ)氏が監督を務めるチームだった。
またさらにチームには大学卒業後に川崎フロンターレでプレーする谷口彰悟(たにぐちしょうご)選手などが在籍しており、そのスタイルはショートパスをつないで攻め込む川崎フロンターレで行っていたサッカーの原形の様なサッカー。
素晴らしい動き出しからボールを引き出すだけでなくパワーもあり、フィニッシュは常に冷静で、最終的に関東大学リーグ戦での通算得点記録をそれまでより10以上上回る48にまで伸ばしたほどゴールを量産する赤崎選手は、所属する筑波大学で圧倒的な存在感を見せつけ、名実ともに大学ナンバーワンストライカーとして誰もが知る存在だった。
高校ナンバーワンストライカー、赤崎秀平選手
赤崎選手は筑波大学進学前、佐賀東高校在籍時にも既にU-18日本代表の主力選手として選ばれており、高校ナンバーワンストライカーとして知られていた選手だ。
高校3年時の2009年、奈良県をメイン会場として行われていたインターハイでは、赤崎選手、そして現在川崎フロンターレから期限付き移籍でベガルタ仙台でプレーする中野嘉大(なかのよしひろ)選手の活躍で佐賀東高校は躍進する。そして準決勝では後に鹿島アントラーズでのチームメイトとなる昌子源(しょうじげん)選手率いる米子北高校との対戦となり、最終的に米子北高校が決勝進出をきめることとなるが、この試合で見せた赤崎選手と昌子選手のマッチアップは、昌子選手が広く世間に名前が知られるようになった原点でもあり、今も語り継がれるほどの壮絶な勝負として知られている。
高校ナンバーワンストライカーであった赤崎選手のもとには多くのクラブスカウトの間で争奪戦が行われ、実際に浦和レッズからもオファーが届くが、赤崎選手が選んだのは筑波大学への進学だった。
その理由として、赤崎選手が高校1年生だった当時、後の自分と同じように高校ナンバーワンストライカーと呼ばれていた大前元紀(おおまえげんき)選手がほとんどプロの世界で試合に絡めていなかったからで、当時の大前選手よりも自分が優れているとは感じられなかったためまずは大学で自分自身のレベルを上げなければならないと考えていたそうだ。
鹿島アントラーズに加入
赤崎選手が大学卒業と同時に受けた数多くのオファーの中から選んだのは国内最多の優勝回数を誇る鹿島アントラーズだった。
多くのクラブに練習参加した上で、2011年のユニバーシアード代表でチームメイトだった2歳年上の山村和也選手、そして赤崎選手と同じ鹿児島出身で当時の鹿島アントラーズでは押しも押されぬエースストライカーだった大迫勇也(おおさこゆうや)選手の存在も大きかったとが決め手だった。
当時の鹿島アントラーズには現在日本代表選手としても活躍する大迫選手がいたが、赤崎選手はボールを受けるための動き出しのうまさなどで鹿島アントラーズのレジェンドである「柳沢敦選手のようだ」と例えられ、多くの期待を集める。
大学4年時の2013年に加入内定と同じくして特別強化指定選手として登録されると、8月の大宮アルディージャ戦でデビューし、加入1年目の2014年にはリーグ戦で15試合出場5得点とクラブの大卒加入選手最多得点を記録した。
2015年にはダヴィの怪我などもあり出場試合を増やし、このシーズン後半以降は金崎夢生(かなざきむう)選手と赤崎選手の2トップという形が定着するようになり、そのキャリアは一見順調かに思われた。
厳しい状況の中で届いたガンバ大阪からのオファー
加入から順調に出場機会を増やしていった赤崎選手だったが、3年目の2016年は一転厳しいシーズンとなる。
シーズン序盤は金崎選手との2トップで先発出場を続けていたが、ほとんどの試合で一番最初に交代となる選手であるという状態からは脱却できない。プロに入ってからの赤崎選手は、大学時代よりも献身的に守備をするようになり、それによってチームを助けることにもつながるが、最大の魅力だった得点力がダウンしてしまう。プレーに迷いが見られるようになっていたのだ。
また赤崎選手と入れ替わるように出場機会を掴んでいった鈴木優磨(すずきゆうま)選手の存在も無視出来ない。
鈴木優磨選手ががコンスタントにゴールを積み重ねた事、そして鈴木優磨選手には赤崎選手には無い高さという選択肢があった事も大きかったのだろう。シーズン終盤になると徐々に出場時間が短くなり、ベンチ外となる試合も増えていくことになった。
2017年に入ると、ヴィッセル神戸からペドロ・ジュニオール選手、アビスパ福岡から金森健志(かなもりたけし)選手と複数のフォワードが加入した事もあり、リーグ戦での出場はおろかベンチ入りも0という厳しい状況に。
そんな中、ガンバ大阪からオファーが届き、翌週には発表という慌ただしい形で赤崎選手は期限付き移籍を発表す。
赤崎選手にとって大きなチャンスだと前向きに捉えられる良いタイミングだったのだろう。
ガンバ大阪でブレイクを目指す
ガンバ大阪が赤崎選手にオファーを出したのはおそらくシンプルな理由で、これまでのカンバ大阪戦での活躍を見ていたからだろう。
またガンバ大阪は故障者の影響により現在のFWは実質アデミウソンと長沢駿(ながさわしゅん)選手の2人のみで、ACLをも戦うチームにとってはかなり厳しい状況だ。
そんな状況の中、2015年にサンフレッチェ広島で活躍したドウグラス選手の獲得にチャレンジしたようだが、残念ながらまとまらず断念となり、そこで赤崎選手ということになったのだと思われる。
赤崎選手のガンバ大阪での立ち位置はおそらくアデミウソンの控えだろう。
アデミウソンは日本のサッカーにも、そしてガンバ大阪にもフィットしてきはじめているので、ポジションを奪う事は容易ではない。
しかし、プレーの機会は鹿島アントラーズよりは多いハズなので、その中でチャンスを掴み是非ブレイクのきっかけを掴んでほしいところだ。赤崎選手は感覚でプレーする選手ではなく、自分のプレーを言語化できるクレバーな選手だ。
大学時代の赤崎選手を知る人からすると、あの赤崎選手はこんなものじゃないはずと感じている人は多いのではないだろうか。