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モンテディオ山形の歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
サッカー,ⒸShutterstock
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

J2とJ1を行き来しているモンテディオ山形だが、歴代監督が戦う集団としてのスピリッツを植え付けて、地元山形とともに成長してきたのは間違いない。
ここではモンテディオ山形の歴代監督と彼らがチームに残していったモノを紹介する。

モンテディオ山形初代監督、植木繁晴

モンテディオ山形としての初代監督に就任したのは植木繁晴監督だ。
その前はベルマーレ平塚の監督を務めていた。当時FWだった中田英寿をトップ下へコンバートした手腕が印象的だ。 1トップのみを前線に残して、残りは全員引いて守ってカウンターという戦術を好んで使い、早い展開のサッカーをチームに浸透させていった。
しかしこの監督の特筆すべき点は、選手たちへのメンタル面で大きな功績を残したことだ。 選手たちの高いモチベーションを引き出すことを得意として、モンテディオ山形に最初にプロ意識を強く植え付けていった功績は計り知れない。

モンテディオ2代目監督、柱谷幸一

モンテディオ山形の2代目監督に就任したのは柱谷幸一監督だ。
就任1年目からJ1昇格争いを演じるなど、高い指導力には定評があったのは記憶に新しいところだ。 柱谷監督の戦術特徴として、とにかく無理はしない、という部分が際立っていた。全員で守って、相手が隙を見せたときに一気に攻め込む、というカウンターを得意としていた。 「攻と守」の早い切り替えが印象的だった。
粘って守り抜いて、相手の一瞬の隙を見逃さない、モンテディオ山形の選手の早い攻撃と粘り強い守備は、柱谷監督がチームの戦い方として練り上げたモノだったと言える。

モンテディオ山形3代目監督、鈴木淳

柱谷監督からモンテディオ山形を引き継いだのが鈴木淳監督だ。
カウンター攻撃を軸としていたチームだが、それを潰されるとどうしても得点力に欠けてしまい苦戦するゲームが増えていることは否めなかった。 その上突出した選手がいなかったため、現有戦力としてチームの総合力、組織力で得点を上げていった。
中盤を起点として、スペースを有効に使って前線へテンポよくつなぐサッカーは格上相手にも威力を発揮。 また相手の得点源となる選手を囲んで、そこからのボールを拾って前線へ、という形が機能して攻撃面に幅が出るようになってきた。カウンター偏重の攻撃から脱皮できたのは鈴木淳監督の手腕と言える。

モンテディオ山形5代目監督、小林伸二

モンテディオ山形の監督を語る上でこの人は外せない。 小林伸二監督だ。
2006年2007年とJ1昇格のチャンスがないままチームを引き継いで、まず着手したのが「後ろをコンパクトにする」ことだった。 ディフェンスの裏を突かれて失点する悪いパターンを修正して、守備を強化。そこでボールキープ率を高くすることで、前線へボールを出す機会を増やした。 これが見事にハマり就任1年目でJ1昇格を決めた。
攻撃面ではゴール前までボールを運んでいく動きをパターン化させて、FW選手は練習後の居残り特訓として「小林塾」が恒例となっていた。 個人で突出した選手がいない中で組織の強さ、組織力の大切さ、を強烈に浸透させていった監督だった。

モンテディオ山形7代目監督、石崎信弘

「一生懸命走る、そこに本当のサッカーの良さがある。技術だけじゃなくてさ。そこに気持ちがないと機能しないんだ」と石崎信弘監督は熱く語っていた。 J2に慣れてしまっていた選手に「高校生の部活」を思い起こさせるような走り込みを実践。ベテランにまで「走れなきゃ試合には出られない」と意識を変えさせた名将だ。14年に4年ぶりとなるJ1昇格を果たすが、翌年は成績が振るわずJ2へ降格。 石崎体制3年目の16年にはJ2史上最低の順位に終わってしまい、石崎体制は終了した。

まとめ

モンテディオ山形は今年もJ1昇格をかけて強豪ひしめくリーグ戦に挑む。木山隆之監督の下、初心を忘れることなく、闘争心ムキ出しのサッカー集団がJ1昇格へ向けてサポーターと共に戦ってくれることだろう。 歴代監督が残していった魂と信念を、サポーターと一緒に昇華させて欲しい。そしてJ1に定着して熱いゲームを一緒に楽しみたいものだ。