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セレッソ大阪の歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
サッカーボールⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

近年は多くの日本代表選手を輩出しているセレッソ大阪。クラブ史を振り返ることで、チームがどのようなサッカーをしてきたか知りたい方もいるだろう。今回は、セレッソ大阪の歴代監督がチームに与えた影響を紹介する。

エミリオ監督はカウンター狙いで手堅い成績に

セレッソ大阪は1957年創部の「ヤンマーディーゼルサッカー部」が前身だ。初代監督となったパウロ・エミリオ氏は、ブラジル国内でも多くのタイトルを獲得。優勝請負人との肩書きをひっさげて、クラブがJFLに参入した94年に監督就任した。
エミリオ氏はJFL1年目のチームでありながら、優勝という快挙を成し遂げる。チームを支えたのは、守備からのカウンター狙いの戦術だった。堅実な試合運びで、リーグ戦績はほぼ五分、天皇杯を準優勝するなどの功績も残した。
しかし、96年にクラブ側は守備的サッカーに物足りなさを感じていたのか、攻撃的布陣へと転換を図った。ただ、これが浸透することはなく、成績不振からエミリオ氏はシーズン途中で退任に追い込まれた。

セレッソ大阪の攻撃サッカーを作ったクルピ監督

エミリオ氏の後を引き継いだのは、コーチだった楚輪博氏だった。選手時代から大味なサッカーを展開し、監督でもそのスタイルは引き継がれ、同年のナビスコ杯福岡戦では1試合8得点を記録するチーム記録を作った。一方、リーグ戦は成績では約5カ月間も連敗が続き、楚輪氏も同年でチームを去った。
97年に指揮をとったのは、セレッソを語る上で欠かせない人物、クルピ氏だ。チームの攻撃的サッカーの楚を築いたが、年間11位と当時はまだ結果が伴わず、1年限りで第一次体制は幕を閉じる。
98年は、現在サッカー解説者として馴染みのある松木安太郎氏が指揮。選手個人の能力を生かすサッカーを目指したが、この年も結果が伴わず(年間9位)1年で終幕している。

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