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プレーが上手すぎる「天才」!?サッカー選手野沢拓也とは

2017 5/17 09:55芝田カズヤ
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ゲームメーカー野沢拓也の概要

野沢拓也選手は茨城県笠間市出身、1981年8月生まれで2017年に36歳を迎える。36歳というとサッカー選手としてはベテランの域に達している年齢だ。入団して数年、20代でクビになる選手も少なくない現状の中、この年齢まで第一線で活躍するのは簡単なことではない。
そんな野沢選手は小学生の時に地元の少年団でサッカーを始める。1994年に中学生になると、前年に開幕したJリーグ所属の鹿島アントラーズの下部組織である鹿島アントラーズジュニアユースに入団する。その後アントラーズのユースチーム、トップチームと順調に昇格し、のちにアントラーズの中心選手として活躍する。その後ヴィッセル神戸へ移籍し、一時アントラーズに復帰した年もあったが、2017年現在はベガルタ仙台に所属している。
ポジションは中盤を務め、ゲームメーカとして活躍する野沢選手のプレースタイルについてかつてアントラーズでともにプレーした岩政大樹選手は以下のように語っている。

タクはキックの精度やボールテクニックの技術が注目されがちだが、相手のスペースを見つけてタイミングよくゴール前に入り込むセンスも持ち合わせている。

出典: 岩政大樹オフィシャルブログ No Pain No Gain

天才と称された野沢選手はどのような経歴を歩んできたのだろうか?

アマチュアながらもプロ登録

中学生時代からアントラーズの下部組織に所属していた野沢選手はトップチームの事情からユースチーム所属時の1997年、高校1年生ながらトップチームに登録されガンバ大阪との試合ではベンチ入りを果たしている。この試合での出場こそなく、トップチーム登録もこの1試合のみではあったが、この時から野沢選手がいかに評価されていたかということがわかるエピソードだ。
その後も、ユースチームでプレーを続けていた野沢選手が再びトップチームに登録されるのは1999年の高校3年生の時だった。今度はチームの急な事情などではなく、2種(高校生)選手としてトップチームに登録され、実際に京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)戦でJリーグデビューを果たしている。
この年は結局Jリーグでの出場はこの1試合のみとなったが、同年にブラジルのチームにサッカー留学をするなど選手として様々な経験を積んだ年となっている。ちなみにこの高校3年生(17歳7ヶ月30日)でのトップチームの試合出場はアントラーズでのクラブ最年少記録だ。
若い頃から注目を浴びる選手であった野沢選手はアントラーズユースを経てアントラーズトップチームに昇格する。

プレーがうますぎて”変態”?!と呼ばれたアントラーズ時代

ユース所属時にJリーグデビューは果たしていたが、ユース卒業後の2000年に正式にトップチームに入団する。入団時のアントラーズには小笠原満男選手や、本山雅志選手など、野沢選手同様天才と呼ばれる選手が多く在籍し、またチームもリーグを始めカップ戦や天皇杯などで優勝を重ねるというチームにとっては輝かしい時期だった。そんな強豪チームの選手層の厚さに加え、本人の怪我や持病などもあり、当初は出場できない試合もあった。
そんな野沢選手の転機となったのが2005年シーズン。タイトルから遠ざかっていたチームを指揮していたトニーニョ・セレーゾ監督のもと、1.5列目やフォワードなどのより攻撃的なポジションで起用されるようになると、それまでで最高の28試合出場、10得点という記録を残す。前年までは最高でも16試合出場だったが、2005年の活躍をきっかけに以降は20試合?30試合ほどの出場を毎年果たすなどチームの主力として重要な存在となった。2006年11月には試合出場こそできなかったが日本代表に選ばれるなど、プロ選手として一気にブレイクしていく。
その後も2007年からはチームの大黒柱である小笠原選手の移籍に伴い、それまで小笠原選手が背負っていた背番号8を背負い、2007年~2009年のJリーグ3連覇に貢献するなどしている。
野沢選手は抜群のテクニックやボールコントロールのうまさから「変態」と呼ばれていたそうだ。そんな「変態」野沢選手も歳を重ね徐々に出場機会が少なくなり新天地へと移籍することになる。

鹿島を旅立ち新天地へ

2012年野沢選手はアントラーズからヴィッセル神戸へと移籍する。この時に関しては前年もアントラーズで34試合に出場するなど主力として活躍していたが、神戸がプレースキッカーとしての野沢選手の獲得を希望しての移籍だった。神戸でも中心選手として活躍したものの、同年にJ2に降格してしまったこともあり、2013年には再びアントラーズに復帰している。
しかし2013年復帰以降は若手の台頭もあって出場機会が徐々に減少。2014年にはシーズン途中でベガルタ仙台への移籍が発表された。
この移籍が発表された際、野沢選手は以下のように語っている。

『観戦客をワクワクさせるような選手でありたい』という気持ちは、今も強く残っている。このままサッカー人生を終わりたくないという欲もある。そういったサッカーに対する意欲、そして何よりも愛するクラブの妨げになりたくないという気持ち。その2つが、移籍を決断した理由だ

出典: ゲキサカ

中学時代から所属し、選手としてのキャリアのほとんどを過ごしてきたアントラーズを離れるのは簡単なことではないはずだ。しかし、それでも野沢選手のサッカー選手としての強い思いが新天地への移籍につながっているのだ。
移籍した仙台は2014年、降格争いの中にいるなど苦しい状況にあったが、野沢選手は移籍後16試合出場、2得点という記録を残しチームのJ1残留に貢献している。

最年長としてチームを引っ張る存在へ

2017年に36歳を迎える野沢選手は、仙台では最年長だ。個人としての活躍はもちろんのこと、アントラーズ黄金期での経験や卓越したテクニックなどチーム全体を引っ張る存在としての活躍も期待される年齢だ。さらに、自身もアントラーズ時代に小笠原選手や本山選手などの優れた選手たちがいる中で2005年シーズンのように成績を残してきており、仙台が新勢力としての台頭を促す役割も担っているのだ。
しかし、2017年シーズン開幕前のインタビューでは以下のように発言している。

まだまだ上を驚かす選手が出てきていないと感じる。もっと出てきてほしい。出ている人だけでなく自分から発信していかないと。強い気持ちを持たないと損をする

出典: サンスポ

年齢的にも選手としての期間が少なくなってきている野沢選手。残りの期間で仙台に、はたまた他のクラブに?さらには日本サッカーに何を残してくれるのだろうか?
ぜひ、ベテラン野沢選手の活躍に期待してほしい。