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水戸ホーリーホックの歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
水戸市立競技場
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水戸ホーリーホックはどのような歴史を歩んできたのだろうか。チームの歴史を監督の戦術や功績とともに紹介する。

旧JFLに初参戦、中野監督下では4勝26敗

水戸ホーリーホックは、1994年に前身となる「FC水戸」を創立し、97年には旧JFLへの参入資格を得るためプリマハムFC土浦を九州合併、2000年にJリーグに加盟した。 Jリーグへの加盟を目指してJFLに初参入した97年は、中野雄二氏が監督を務めた。今でこそJリーガーを多数輩出する関東を代表するサッカーの名門校「流通経済大学」のイメージを築き上げた第一人者として知られているが、97年における水戸ホーリーホックでの戦績は、開幕からの14連敗を含む4勝26敗と記録的な惨敗で最下位に沈んだ。 札幌のJ昇格と財政支援に乏しかった福島FCの消滅によって、地域リーグの上位クラブとの入れ替え戦を回避することはできたが、中野氏は退任に追い込まれた。

99年に二宮監督でJリーグ加盟を決める

JFL2年目を率いたのは、三浦俊也監督だった。大宮、札幌、神戸、甲府、そしてベトナム代表監督(16年1月に解任)を務めるまでになった三浦氏は、水戸で初めて年間シーズンを通じて監督を務めたが、財政的にも不安定な中で戦い抜き、年間では最下位を脱出して14位。三浦氏もまた、1年限りでチームを去った。 99年シーズンは、かつて浦和の選手だった二宮浩氏。9チームによる3回戦の総当たり戦で行われ、第1ステージは6位と苦戦するも、第2ステージでは優勝した横浜FCに次ぐ3位に躍進。本来、Jリーグの加盟条件はJFL2位以内だったが、JFL準会員である横浜FCが優勝したため、「正会員2位」の点が考慮されて、悲願のJリーグ加盟が認められた。

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