史上最強のFW!34歳の点取り屋は何を想う
2016シーズンは相次ぐ負傷で序盤で苦しみ年間9位と悲願のJリーグ初優勝とはならなかったFC東京。2017シーズンを前に、永井謙佑選手、林彰洋選手、太田宏介ら日本代表クラスのメンバーを次々と獲得する大型補強を敢行。Jリーグ最強のストライカーと称される元日本代表の男もまた、更なる刺激を求めてブルーとレッドのユニフォームに袖を通した。
史上唯一、3年連続でのJリーグ得点王。そして、J1通算最多得点171の記録を保持する彼の名は、大久保嘉人選手だ。
タイトルを獲得するために、これまでの自分の経験や、いま持てるすべての力をチームのために捧げたいと思います。
出典
FC東京オフィシャルウェブサイト
これで国内外合わせて6つ目となるクラブで、4度目となる得点王、そしてキャリア初となるJリーグ王座のタイトルを狙う。もちろん、36歳で迎える2018年ワールドカップロシア大会も諦めていない。
今回は、そんな34歳の点取り屋、大久保選手の強さに迫る。
ストライカー・大久保嘉人
名門・国見高校時代には、インターハイ、国体、選手権大会と高校三冠を達成した大久保選手。プロ入り前から期待されていたストライカーは、セレッソ大阪でキャリアをスタートさせる。
ルーキーイヤーとなった2001年は、チームとしてはJ2降格という苦しいシーズンだった。しかし、翌シーズンには、得点ランキング2位の成績で1年でのJ1復帰に貢献。2004年には、アテネオリンピックでU-23日本代表の主力選手にもなった。2004-2005シーズンには最高峰、スペイン、リーガ・エスパニョーラのRCDマヨルカに期限付き移籍。ラスト4試合では、2ゴール2アシストのほか、PKも獲得する活躍で、奇跡的な残留に貢献する活躍を魅せた。今でも得点にこだわり続ける気持ちは、この時からすでにプレーに表れていた。
その後、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸を経て、ドイツ、ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクで海外リーグに再挑戦。しかし、出場機会に恵まれずに1シーズンでヴィッセル神戸に復帰した。2010年には念願のワールドカップ南アフリカ大会に出場。献身的な活躍でチームの決勝トーナメント進出に貢献するも、帰国後にはオーバートレーニング症候群(燃え尽き症候群)に悩まされ不調に悩まされる日々が続いた。
悩まされる不調からの転機となったのは、2013シーズンの川崎フロンターレへの移籍。移籍1年目から自己最多となる26得点で得点王に。2014年のワールドカップブラジル大会では主力メンバーと期待されながらもゴールを奪えなかったが、2014年、2015年とリーグ戦では史上初の3年連続得点王に輝いた。2016年までの4年間では、Jリーグ杯、天皇杯合わせて100ものゴールを記録している。
輝きを取り戻したストライカー
30代に突入し不調から抜け出せなかった大久保選手は、ファンの間では「終わった選手」とも言われることもあった。そんな大久保選手を再び華開かせたのが、指揮官である風間八宏監督(当時)だった。
独自の理論をもつことで知られる指揮官が目指したのは、選手ひとりひとりが100%のプレーができるチームにすること。つまり、試合の中で、「個人が戦術として機能すること」である。大久保選手に関しても、ストライカーとしての性格を把握。実際に、風間体制での川崎フロンターレでは、大久保選手の力が最大限に発揮された。
これまで大久保選手の持ち味として知られていたのは、フォワードとしての決定力。しかし、風間監督は、自分でフリーの状況を作り出すポジショニングの上手さ、味方のプレーに対して素早く動き出せる反応力とスピードの高さなど、大久保選手の隠れていた才能を見抜いた。そして、周りの選手に対しては「大久保選手の動きを見逃さずパスを出すこと」、大久保選手に対しては「動きすぎないこと」を徹底させたのだ。
その結果、自分がボールを貰いたい瞬間や、味方がパスを出せるタイミングで動き出すことで、無駄な体力を消費することがなくなった大久保選手。守備によるフラストレーションからも解放され、冷静な状況判断の下、多彩なアイデアからの幅広いプレーができるようになったのだ。
実戦をイメージした練習に裏付けられた自信
輝かしい成績からも分かる通り、川崎フロンターレ時代の大久保選手は、大幅にシュート精度が向上した。風間監督の指導の影響もあると思うが、もちろん本人自身にも変化があった。
大久保選手自身、3年連続得点王になれたことを振り返る中で挙げたのが、練習での意識改革と自信だ。シュート練習では、これまでのただ蹴るだけの練習から、ゴールキーパの位置を想定しコースに狙いを絞った練習に。キック力で押し切るシュートではなく、本番の試合をイメージし意図を持つことを意識した。そのため、試合中に訪れるさまざまな状況で、臨機応変に対応できるようになった。
また、ミドルシュートに関しても、若手選手に混ざりながらの居残り練習で鍛え上げた。実際に、川崎フロンターレ加入後は、積極的にミドルシュートを放つプレーが多く見られる。
川崎フロンターレ加入前までの大久保選手には、決定的なシーンでシュートを外すというプレーもたびたび見られた。しかし、実戦を想定した練習は、試合でも「俺が決めてやる」という自信につながる。ゴール前での迷いを打ち消し、思い切ったプレーもできるようになった。大久保選手が再び輝きを取り戻した理由は、ここにあるのだろう。
飽くなき向上心でどこまでも
そして、2017年。新天地、FC東京のユニフォームでフィールドに立つ。2016シーズンは惜しくも4年連続となる得点王を逃した。しかし、大久保選手は再び得点王を取り戻すことを諦めていない。それは、大久保選手にとって、またFC東京にとっても悲願となるJリーグチャンピオンの座を手に入れるためだ。
移籍を決断したことについて、大久保選手はこう語る。
『やれないな』と思ったら、この年齢で移籍を決断するのは難しいけど、『やれる』と思ったからこそ移籍してきました
出典:
ゲキサカ
35歳となる年だが、大久保選手は自信に満ち溢れている。「やれる」限りプレーは続けたいという大久保選手。現状に満足することなく、更なる進化への手ごたえも掴んでいる。飽くなき向上心で、どこまでも進化していってほしい。