「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

サガン鳥栖の歴代監督がチームに残したモノ

2016 7/31 18:20
サガン鳥栖
このエントリーをはてなブックマークに追加

クラブの歴史を知るには、歴代監督を振り返るのが最も簡単だ。
今回はサガン鳥栖の歴代監督が残した功績について触れていく。

サガン鳥栖は大型補強断行もJ昇格は叶わず

佐賀県鳥栖市を本拠地とするサガン鳥栖の前身は、かつて静岡県浜松市にあった県1部リーグのPJMフューチャーズだ。佐賀県サッカー協会が誘致し、94年にホームタウンを移転。鳥栖フューチャーズ(鳥栖F)に改名し、Jリーグ準会員として認められた。 鳥栖Fの監督には、JFL2部から指揮をとっていた桑原隆氏に代わってイヴァン・チャブリノヴィッチ氏が就任。元日本代表GKの松永成立選手や元カメルーン代表のDFステファン・タタウ選手などの大型補強を2年連続で断行するも、JFLでは94年から3年連続で4位となり、悲願のJリーグ昇格は叶わなかった。

存続の危機、サガン鳥栖は急造チームでしのぐ

鳥栖Fが危機を迎えたのは96年のシーズン終了後。スポンサーの相次ぐ撤退を受けて、運営会社が解散した。それでも、存続を求める5万人もの署名を受けて、鳥栖Fの代わりとなる任意団体「サガン鳥栖FC」が発足。事務所も無い手探りの状態からスタートした中で選ばれた初代監督は、C大阪の監督代行を務めていた楚輪博氏だった。 急造チームでも、鳥栖はJFL(97?98年)でそれぞれ11位と8位、99年のJ2初年度にも甲府や仙台よりも上位の8位と健闘を見せた。 続いて2000年に就任した高祖和弘監督もまた、鳥栖の苦しい経営の中でも初年度は6位と善戦。翌01年に一度は運営会社社長に就くことが決まったが、これを撤回し、同年限りで監督も退任となった。

おすすめの記事