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ガンバ大阪の歴代監督がチームに残したモノ

2016 7/31 18:20
ガンバ大阪
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西高東低が続くJリーグ。西へ目を向けるとガンバ大阪が有名だが、過去のガンバの名監督についてご存知だろうか。今回は、どのような監督が今のガンバ大阪の基礎を作り上げてきたのかを紹介する。

名ストライカーも監督としては苦戦 釜本邦茂

日本が世界に誇る名ストライカーといえば、釜本邦茂を抜きに語ることができない。ヤンマーディーゼルで栄光を築いてきた選手だが、191年からガンバ大阪の監督に就任して、1993年のJリーグ開幕時にも指揮を取った。
残念ながら、監督としては実績を残すことができず、当時のエースであった永島昭浩との確執を生むなどチームとしてまとめることができなかった。一方で、若手選手の育成手腕には評価が集まっており、もう少し長いスパンで監督としての実力を見たかった点がある。

単なるダジャレおじさんではない!?早野宏史

横浜マリノスで監督としての実績を評価され、1999年にガンバ大阪の監督に就任したのが早野宏史だ。テレビ解説ではダジャレを連発している印象だが、ガンバではそこそこの成績を残すことに成功している。それまで2桁順位が当たり前だった中の2000年セカンドステージで久々に4位に押し上げる実績を残した。
目に見える形で何かを残したというわけではないのものの、間違いなくその後のガンバの黄金期に進むためのレール作りをしているのは間違いない。特に、若手選手の起用により下地をしっかり作った点は高く評価されている。

ガンバの監督といえばこの人 西野朗

10年もの間、ガンバ大阪の監督を務め上げ、その間に数多くのタイトルを獲得することに成功したのが西野朗だ。1996年のアトランタオリンピックの監督として、功罪を指摘されている中での監督就任だったが、遠藤保仁を中心に据えるサッカーは魅力的そのものだった。
また、単に強いだけでなく攻撃サッカーは多くのファンを魅了した。どちらかと言うと、自分の戦術に選手を当てはめるのではなく、選手を中心として戦術を構築する形を採用していた。その中心となったのが、遠藤保仁だった。ところが西野朗が退任した翌シーズン、チームは崩壊してJ2降格の悲劇に見舞われる。

チームを立て直した立役者 長谷川健太

初のJ2落ちから、見事チームを立て直したのが長谷川健太だ。清水エスパルスでしっかり実績を残していた中でのガンバ監督就任だったが、周囲の目は懐疑的だった。そんな中、1シーズンでJ1復帰を果たし、何と翌年にはJ1優勝という快挙を成し遂げる。
西野朗とは逆、自分の戦術に選手を当てはめるスタイルを採用しているが、人身把握力に長けて、また西野時代の長所もしっかりと織り交ぜたスタイルの採用により、チーム力をアップすることに成功している。

まとめ

ガンバ大阪というと、ここ10年近くずっと攻撃サッカーを信条としてきた。それでしっかり結果を残してきているし、多くのファンを獲得することに成功している。今後も、そのサッカーで多くのタイトルを獲得することは間違いないだろう。