初代背番号10は中村伸
クラブ創設期の1997年から2000年まで背番号10番をつけたのが中村伸だ。サガン鳥栖がJ2の初期クラブとなった1999年には、自身のJリーグ初ゴールでサガン鳥栖のJリーグ初勝利に貢献するなど、中心選手として活躍した。創設時のチームを引っ張った選手として人気も高く、古いサガン鳥栖サポーターは、未だに背番号10といえば中村伸を思い出す人も多い。
その後はベガルタ仙台へ移籍しJ1でもプレーしたが2002年に引退。引退後は指導者の道に進み、2014年からはサンフレッチェ広島のコーチに就任している。
九州4チームでプレーした背番号10・鈴木勝大
中村伸の移籍後、2001年から背番号10をつけたのは、同年にアビスパ福岡から移籍してきた鈴木勝大だ。
横浜の名門・桐光学園高校出身の鈴木勝大は、高校時代に1年先輩だった中村俊輔ともプレーしている。サガン鳥栖で4シーズンプレーした後はヴォルカ鹿児島、ロアッソ熊本でプレーして引退。現役中に所属した4チーム全てが九州に本拠地を置くという、なんとも珍しい選手だった。
引退後は指導者の道へ進み、現在は母校・桐光学園高校サッカー部の監督として活躍中だ。
2004年サガン鳥栖大躍進の立役者の一人・本橋卓巳
創設期から苦しいシーズンが続いたサガン鳥栖だが、2004年のシーズンは前半戦で勝ち星を積み重ねるなど大躍進のシーズンとなる。そんな2004年のシーズンに背番号10番をつけていたのが本橋卓巳選手だ。
サガン鳥栖でプレーしたのはわずか1シーズンだったが、ピッチ外でも様々な混乱があった当時のチームの中心となって活躍し、サポーターを勇気づけた。
2004年シーズン以後はモンテディオ山形、栃木SCでプレーし、2013年に引退している。
レンタル移籍ながら中心選手として大活躍した島田裕介
島田裕介は2009年にわずか1シーズンプレーしただけだが、サガン鳥栖サポーターの記憶に焼き付いている選手だ。
前年の2008年にザスパ草津でチームMVPに選ばれる活躍をし、大宮アルディージャからレンタル移籍してきた島田裕介は、サガン鳥栖でも50試合で8ゴールを決めるなど結果を残した。8ゴールはサガン鳥栖歴代10番の1シーズン最多ゴール記録だ。
その後、徳島ヴォルティスや韓国の江原FCでプレーし、2013年に現役を引退。現在は解説者として活動している。
サガン鳥栖の最高の背番号10番は金民友
2010年から現在まで背番号10をつけ、サガン鳥栖の中心選手として活躍しているのが韓国出身の金民友。2015年シーズンまでの6シーズンで背番号10をつけ183試合に出場、26ゴールを決めている。2016年からはチームの主将にも就任し、名実ともにサガン鳥栖の中心になった。
まだまだ26歳と若い金民友、彼がいる限りサガン鳥栖で背番号10をつける選手は現れないかもしれない。韓国代表にも2010年から選ばれ、12試合に出場している。