2001年から10番を背負った望月重良
筑波大学で頭角を現し、ユニバシアード代表としても活躍した望月重良は1996年に名古屋グランパスに入団。その後、実力を認められて日本代表でも活躍。類まれなるパスセンスで、多くのチャンスを演出する姿が印象的だった。
その望月重良は、各チームを点々としながらヴィッセル神戸でもプレイした。2001年に入団して、4シーズンでゴールこそ1点しか上げることができなかったが、印象に残るプレイを見せてくれたのは言うまでもない。
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1995年に阪神大震災が発生した中、産声を上げたのがJリーグのヴィッセル神戸。復興の象徴として今でも成長を遂げている。ヴィッセル神戸を支えてきた歴史においてどんな名選手がいたのだろうか?今回はヴィッセル神戸の歴代背番号10を背負ってきた選手たちを紹介する。
筑波大学で頭角を現し、ユニバシアード代表としても活躍した望月重良は1996年に名古屋グランパスに入団。その後、実力を認められて日本代表でも活躍。類まれなるパスセンスで、多くのチャンスを演出する姿が印象的だった。
その望月重良は、各チームを点々としながらヴィッセル神戸でもプレイした。2001年に入団して、4シーズンでゴールこそ1点しか上げることができなかったが、印象に残るプレイを見せてくれたのは言うまでもない。
Jリーグが開幕した1993年にヴェルディ川崎で大活躍したのがビスマルクだ。正確なパスと強烈なミドルシュートで、ラモス瑠偉とともに最強ヴェルディを支えた。
そのビスマルクは、ヴィッセル神戸でもプレイした。鹿島アントラーズ退団後、2003年のシーズン途中にヴィッセル神戸入り。ちょうどJ2降格の危機に瀕していた中で、9試合の出場に留まったが、チームを陰ながら支えてJ1残留の立役者となり、そのまま現役引退した。
日本代表には候補として入るものの、なかなか縁がなかった選手だが、藤本主税も非常にスキルの高い選手だった。ちょうど、ビスマルクが引退した後の2004年に背番号10を背負った。
2004年は楽天が経営に参入したこともあり、大型補強の目玉だった。チームの成績が上がらない中、スキルフルなプレイを見せていたが残念ながら1シーズンで退団。もっとヴィッセル神戸での勇姿を見たかったプレイヤーである。
J1最多得点記録を塗り替え続ける、日本のレジェンドとも言えるのが大久保嘉人だ。現在は川崎フロンターレでプレイしているが、6シーズンに渡ってヴィッセル神戸でプレイした。
ヴィッセルで背番号10を背負ったのは2012年シーズンだけなのだが、もちろん大久保の存在なくしてヴィッセルを語ることはできない。闘志あふれるプレイで、サポーターを熱くさせる存在だった。
これからのヴィッセルを背負っていく存在として、大久保嘉人から背番号10を託されたのが、森岡亮太だ。
2010年にヴィッセルでプロデビューして以降、ロングレンジでもショートレンジでも正確なパスを繰り出し、柔らかいドリブルでヴィッセルの得点源として活躍する。
これからもヴィッセルでファンタジスタとして活躍するかと見られていた2016年に、シロンスク・ヴロツワフへ移籍したが、成長してまたヴィッセル神戸に戻ってきてほしい。