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夢と感動と愛を与えた日本サッカー界の偉人5人

2016 7/23 23:12
Jリーグ・横浜FCの三浦知良Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

日本が生んだ最大のストライカー釜本邦茂

早稲田大学からヤンマーに入社した釜本邦茂は、学生のエースから日本代表のエースに成長。三菱重工の杉山隆一と共に日本を代表するストライカーとなった。

彼の凄さを決定づけたメキシコオリンピックの3位決定戦、日本はメキシコを相手に釜本の2得点で2-0で勝ち、銅メダルを獲得。釜本は、通算7ゴールをマークし、得点王に輝いた。この快挙により、日本は空前のサッカーブームを巻き起こした。

日本初のプロサッカー選手、奥寺康彦

古川電工の社会人サッカーで活躍していた奥寺康彦は、日本人として初めてプロサッカーに登録された。

当時世界最高とされていたブンデスリーガに所属し、約10年プレー。試合の多くでトップ争いするなど、当時、奥寺の実力は折り紙付きだったと言われている。また、スピードサッカーは海外でも定評があり、それに加えてキック力など身体能力も抜群だった。

キングカズこと三浦知良

1992年、日本年間最優秀選手に贈られる「フットボール・オブ・ザ・イヤー」を受賞したカズこと三浦知良。その後の活躍はJリーグ内最高の20得点を挙げるなどすさまじく、日本サッカー界のエースの座に君臨。そして、ラモス瑠偉、武田修宏、ビスマルク、北澤豪などとともにヴェルディ川崎の黄金時代を築き上げた。

プレミアリーグ奇跡の優勝に貢献した長友信二

2016年の降格危機から一転。トッテナム、アーセナル、マンチェスターなどの強豪を破り、奇跡の優勝を果たしたレスター。そのレギュラーとして貢献し、世界中にその名を轟かせたのが長友信二だ。この快挙は、世界中のサッカーファンを感動させた。

Jリーグ初のチェアマン川渕三郎

Jリーグ誕生の立役者。元サッカー選手で、元日本代表監督を務めた川渕三郎。その後、日本サッカー協会の第10代会長に就任し、Jリーグの発展に大いに寄与してきた。現在はサッカーからバスケットに移行し、83歳となった今もスポーツの発展に努めている。

感動を与えてくれた5人の日本人サッカー選手。今後もサッカーを通し、世界中で活躍することを願いたい。