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日本が誇るサッカー界の天才たちの意外なセカンドキャリアまとめ

2016 11/29 21:30
サッカー
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Photo by mooinblack / Shutterstock.com

日本人サッカー選手の引退後にスポットを当てたいと思う。天才と謳われ日本サッカー界を引っ張た男たちが、スパイクを脱ぎ、ピッチを去った後に日本国内外で取り組む意外な「セカンドキャリア」の事例を紹介する。

【中田英寿】チャリティ、お菓子、日本酒……世界を駆ける男

日本サッカー史上最も海外で評価の高い選手でありながら、2006年に29歳で突然の現役引退。功績を認められ、翌年FIFA親善大使に任命されたものの、まるで「旅人」のように世界各地を転々としていた。
2009年に自らが代表理事を務める一般財団法人「TakeAction Foundation」を設立。ケニアに給食10万食を届けるワンクリック基金や、口蹄疫、東日本大震災問題に対処するチャリティイベントを続々と開催した。
お菓子好きが高じて、現役時代から東ハトの非常勤執行役員としての肩書きを持っており、キャラメルコーンなど主要商品のパッケージを一新するプロジェクトを手がけた。近年は日本酒の美味しさに心を奪われ、さまざまな事業を展開。2015年はイタリア・ミラノで期間限定の日本酒バーをオープンさせた。
かつてのトッププレーヤーたちが主催するチャリティーマッチには声がかかり、時折かつての天才的なプレーを見せて、今もファンを楽しませている。

【磯貝洋光】稀代の天才MFがプロゴルファーに転身

Jリーグ創世期にガンバ大阪で活躍したのが磯貝洋光。センスの塊とも呼べるプレーヤーで、非凡なパスセンスでチームを牽引し、精度の高いフリーキックで多くのゴールを生んできた。プレーにはムラがあり良くも悪くも「天才肌」で、クラシックなトップ下の選手。それ以外のポジションもかなりのクオリティをもってプレーできることを証明したが、ケガが原因となり1998年に若くして引退する。
セカンドキャリアでは、趣味で続けていたゴルフの道を進むことを決心。持ち前のセンスでプロ試験に合格し、プロゴルファーとしての道を歩んでいる。2007年には同世代の沢登正朗の引退試合に出場。かなり太ってしまい観客を驚かせたものの、随所に光るプレーを見せ、そのセンスのよさを再認識させられた。

【石塚啓次】アパレルブランドを開業→異国の地でうどん屋に

Jリーグが生まれて間もなかった1993年にヴェルディ川崎に入団。カズ、ラモス、武田を擁し、2年連続Jリーグチャンピオンにもなり「和製フリット」とも呼ばれたのが石塚啓次だ。川崎フロンターレと名古屋グランパスでプレーした後、2003年に現役を引退した。
セカンドキャリア序盤は、オシャレ好きが高じて元横浜フリューゲルスの森敦彦とともにアパレルブランドを設立、ファッション業界に身を投じる。その後2012年に家族とともにスペイン・バルセロナへ移住。別ブランドを立ち上げたほか、サッカー留学のコーディネート事業を展開。
そして2014年、バルセロナの地でうどん屋「Yoi Yoi Gion 宵宵祇園」をオープン。日本食ブームに沸く同国だが、日本人経営によるホンモノのレストランはごく少数。大抵は中国人が経営するまがいものだから、貴重なホンモノ志向が分かるレストランとして人気を集めているようだ。

まとめ

往年のサッカーファンなら誰もが知っている3選手。それだけ日本サッカー界に残した功績は大きいものだが、引退後の過ごし方でも大きなインパクトを残している。