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セレッソ大阪の歴代ユニフォームを振り返ってみる!

2016 11/25 20:06
サッカー選手,イメージ画像,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

香川真司選手や乾貴士選手など海外で活躍する選手を輩出しているセレッソ大阪。セレッソとはスペイン語で桜を意味する言葉で、ユニフォームもピンクを主体としている。今回はセレッソファンの方へ向けて、知っておきたい歴代ユニフォームの変遷について紹介する。

1992年モデルのユニフォーム

1992年に当時はJFL所属ではあったが、Jリーグのサプライヤーであるミズノによって初代のユニフォームが作られる。上がピンクでパンツとソックスが水色というカラーリングで、当時のJリーグの中でも際立って目立つ色合いだった。シャツは襟付きで袖のところと、胸から下の部分に桜の花びらのモチーフがきらきらと散りばめられているデザインになっている。この時の胸スポンサーはカプコンだった。
1995年にJリーグ昇格を果たすが、ユニフォームデザインは1996年までほぼ同じもので戦う。胸スポンサーは1995年からニッポンハムに変わる。Jリーグ昇格初年度の1995年には森島寛晃がベストイレブンを獲得している。

1997年モデルのユニフォーム

1997年には、前年のカップ戦用に作られた縦のストライプ柄のユニフォームが1stユニフォームとして採用される。襟付きでピンクと紺色のストライプ柄、襟口から袖が縫い付けられている「ラグラン袖」という形式を初めて取り入れたユニフォームになっている。
1999年にはマイナーチェンジが行われ、ピンクの部分が明るい色に変更になったほか、肩のラインにミズノのオリジナルデザインであるMCラインが入るようになった。ここからは2003年までマイナーチェンジが行われる。この時期は1997年にレヴィー・クルピ、1998年に松木安太郎が指揮を執るが、Jリーグ最多失点で負けるなど思うような結果を残すことができず、2001年にはJ2降格を経験する。

2004年モデルのユニフォーム

2004年には6年ぶりに全面的にユニフォームデザインを変更する。カラーはピンクと紺のストライプで、袖が紺一色になったことでピンクのイメージが少し抑えられている。襟もVネックに変更し、速乾性の高いドライサイエンスQDという生地を採用した。
2006年にはマイナーチェンジを行い、ストライプの幅に違いがついて左右非対称になり、右半身が紺、左半身がピンクの印象が強くなるデザインになった。この年から胸スポンサーがヤンマーに変わる。ここから2011年まではストライプ幅の変更といったマイナーチェンジが続く。この時期のセレッソは2005年にJ1で優勝争いを演じながら翌年にはJ2に降格と不安定な戦いが続き、2009年にようやくJ1復帰を果たす。

2012年以降のユニフォーム

2012年には前年の夏休み限定ユニフォームのデザインを使った新しいユニフォームが作られる。襟はシンプルなVネック、全体にピンクの部分が増えて、裾の部分から胸のあたりまでグラデーションの紺のストライプが入る。そのストライプを区切るように胸の部分に曲線のラインが横切り、左右非対称に仕上げている。
2013年は変形Vネックのピンクシャツに、竜巻をイメージした紺色の斜め線が右胸と左腰部分にはいる。2014年はクラブ創設20周年を記念したモデルで、ピンク一色のシンプルなデザインで特徴的なのは立ち襟になっている点だ。2015年にはサプライヤーをプーマに変更したが、デザインは前年に近いシンプルな襟付きのデザインになった。チームはこの時期、主力選手の移籍や復帰が多かったり、ACL出場権獲得しながら翌年にはJ2に降格するなど、不安定さがなかなか解消できずにいる。

まとめ

セレッソ大阪の歴代ユニフォームを紹介してきた。初期は桜の花びらを散らしたとても派手なものだったが、年々スタイリッシュになってきている。気に入ったユニフォームをおしゃれに着こなしてみるのもいいかもしれない。