サガン鳥栖 ユニフォームの歴史
サガン鳥栖のユニフォームは、チームの前身となる鳥栖ヒューチャ?ズのクラブカラーの紺とピンクを継承しており、2006年からは紺色に代わりブルーとピンクが使われている。ブルーは少し緑がかった水色(サガンブルー)でその色合いは、佐賀平野の大地と大空を表している。その後2011年には色はそのままに、ユニフォームデザインのアドバイザーとして迎えられた14代目酒井田柿右衛門により、動きのあるラインが加わった。
2013、2014年にはニューバランスの傘下のアメリカのメーカーであるウォーリア・スポーツとサプライヤー契約を結び,2015年からはニューバランスがサプライヤーになっている。現在、ホームのユニフォームはサガンブルー地にサガンピンクのアクセントカラーのラインが襟元や左裾からサイド、ソックスにグラデーションで配置されている。アウェー用は白地にサガンブルーとサガンピンクの11本のボーダーが大胆に配置されており、ソックスのブルーのラインが爽やかな印象だ。GKのホームは黄色、アウェーは黒、サードは紫のユニフフォームだ。
サガン鳥栖 ユニフォーム 胸のエンブレムには
ユニフォームの左胸にあるエンブレムは現在で三代目。初代は1995年?2005年まで、チーム名のイニシャル「S」と「T」と佐賀県の地図がデザインされていた。二代目は2006年?2014年まで、佐賀平野に生息する”カチガラス”(天然記念物のカササギ)がサガン鳥栖の隠し文字で描かれ、サガンブルー、サガンピンクと5大陸をイメージして勝利を意味する「V」をデザインした。
そして現在の三代目は、”カチガラス”が正面を向き大きくかっこよく羽ばたいている。それにしてもカチガラスとは縁起の良いモチーフだ。ホームスタジアムの”ベアスタ”のマスコットキャラクターの”ウイントス”もカチガラスだ。真のチャンピオンを目指してーユニフォームに込められた思いだ。
サガン鳥栖 ユニフォーム スポンサーについて
ユニフォームには、チームのスポンサーが描かれている。胸には大きく「DHC」、背中の上部に「Cygames」、袖には「佐賀新聞社」、パンツには「ブリヂストン」のロゴが配置されている。過去には2004年にプリンセス天功さんもスポンサーとなっていたことがある。サガン鳥栖(サガントス)のサポーターは、他のチームを中傷することなくひたむきに応援し、チームをボランティア活動で地道に支えており、スポンサー各社に好印象とのことだ。
サガン鳥栖 サガンティーノの背番号は「17」
他のクラブチームはサポーターのユニフォームの背番号は12となっているが、サガン鳥栖のサポーターは「17」だ。これは、スタメン11人、控え5人、そして選手と共に戦う次の背番号としての意味があるそうだ。
また、2005年1月30日にJリーグで初の永久欠番として「17」が制定された。佐賀県のサッカーの発展のため尽力されたサッカー協会理事長の坂田道孝氏の命日である1月7日に由来している。静岡県からPJMフューチャーズを誘致し、鳥栖Fを設立させその後経営難でチーム解体後も復活に向け力を注ぎ、再興を見届けて2000年1月7日に逝去された。サガントスファンにとっては意味のある数字といえる。
まとめ
人口7万人、Jリーグのクラブチーム52チームの中で一番小さな規模のホームタウン、それがサガン鳥栖。平日のナイトゲームで2万人を動員するという地域に愛されるチームだ。そのサポーターであるサガンティーノのマナーは好感度が高く、2011年にJ2からJ1に昇格が決まった年の最終戦、熊本ロアッソのサポーターから横断幕をつかった祝福をされた。
ブルーにピンクのさわやかで可愛いユニフォームだが、鬼のように練習しフィジカルの大変強いチームだ。鳥栖駅に近いサッカー専用スタジアムの”ベアスタ”で、選手たちと一体になって試合に臨みたい。