あの悔しさを忘れない!J昇格直前のユニフォーム
柏レイソルの前身は、日立製作所サッカー部だ。JSL(日本サッカーリーグ)では1965年のリーグ創設時から参戦した歴史あるチームだ。
Jリーグ創設が発表されると、当然チームも参戦を発表。日立FC柏レイソルと改称したが、昇格を決める条件を満たせず、初年度からの参戦はかなわなかった。涙をのんだ選手とファンにとっては、ある意味もっとも印象に残っているのがこの参戦に失敗したときのユニフォームだろう。
Ⓒゲッティイメージズ
柏レイソルはこれまでどんなユニフォームを着用してきたのだろう?柏レイソルのユニフォームの歴史を紹介する。
柏レイソルの前身は、日立製作所サッカー部だ。JSL(日本サッカーリーグ)では1965年のリーグ創設時から参戦した歴史あるチームだ。
Jリーグ創設が発表されると、当然チームも参戦を発表。日立FC柏レイソルと改称したが、昇格を決める条件を満たせず、初年度からの参戦はかなわなかった。涙をのんだ選手とファンにとっては、ある意味もっとも印象に残っているのがこの参戦に失敗したときのユニフォームだろう。
柏レイソルは、当時Jリーグの下位リーグであったJFL(ジャパンフットボールリーグ)で1994年に2位となったことから、95年より念願のJリーグ昇格を果たす。
その初代ユニフォームは、JFL時代からのチームカラーであるイエローにブラックのシャープなラインをデザインしたもの。サプライヤーはJリーグ全チームのオフィシャルメーカーだったミズノだった。パンツの色はブラックで、上がイエロー、下がブラックという組み合わせは、日立製作所時代からまったく同じだ。
2015年から2016年シーズン、レイソルは6年間指揮をとったネルシーニョがしりぞき、吉田達磨が新監督に。
新生レイソルを象徴するように、ユニフォームのコンセプトも太陽が昇る地平線をイメージした5本のボーダーがデザインされた。ボーダーの差し色は太陽王(レイソル)を想起させる赤と黒。バックに選手名がプリントされたのもチームのJリーグユニフォームとしてははじめてのこと。
選手たちも自分の名前が背中で躍動するシーンをイメージしながら、トップを目指して奮闘を続けることだろう。
すでに述べたとおり、柏レイソルの前身は日立製作所サッカー部だ。創部は1940年で、Jリーグ昇格をめざしてレイソルへと進化し92年に廃部されるまで、実に50年を超える戦いの歴史を有する名門だ。
当時の選手たちのほとんどが日立の社員だった。当然、サッカー部としての活動にともなう賞与などはない。ある意味、きわめて保守的なアマチュア精神をもったチームだったといえる。
今の時代ではその価値観は受け入れられないだろうが、当時は「日立の看板を背負って戦うのだ」という気概にあふれていたことは明らかだ。レイソルがJへの参戦を決めてから現在までの20年間、何度もモデルチェンジを重ねたユニフォームだったが胸に輝くメインデザインは「レイソル」ではなく「HITACHI」の大きな文字だ。それほどまでに、「日立のサッカー」をほこりに思っていることの証だといえるかもしれない。
レイソルのチームカラーであるイエロー。そしてパンツのブラック。胸に大きくプリントされた「HITACHI」。レイソルのユニフォームには、前身となった日立製作所サッカー部の半世紀の歴史とほこりが受け継がれているのだ。