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平成8年 ブラジルに勝った「マイアミの奇跡」【平成スポーツハイライト】

2019 1/10 07:00SPAIA編集部
サッカーⒸShutterstock.com
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28年ぶりの五輪出場

マイアミの青空の下、サムライブルーのユニフォームが躍動したのが平成8年7月だった。アメリカンフットボール球技場のオレンジボウルで開催されたアトランタ五輪男子サッカーのブラジル戦。グループDに入った日本は、ドリームチームを相手に臆することなく戦った。

この大会から採用されたオーバーエイジ枠で、当時A代表のレギュラーだったベベット、リバウド、アウダイールが加入したブラジルは優勝候補の大本命と見られていた。一方の西野朗監督率いる日本はオーバーエイジ枠を使用せず、23歳以下のメンバーで臨んだ。当然ながら戦前の予想は「ブラジル圧倒的有利」。日本の勝利を予想した人が一体どれだけいただろうか。

日本サッカーが五輪に出場するのは釜本邦茂が得点王に輝いたメキシコ五輪以来28年ぶりだった。マレーシアで行われた3月24日のアジア地区予選準決勝。エース前園真聖の2ゴールで夢の扉をこじ開けた。決勝は韓国に敗れたものの、堂々の五輪切符をつかんだ。

ブラジルの猛攻に耐え忍ぶ

ブラジルの情報を分析した日本代表のスタッフは、ブラジルに勝つために守備的戦術を選んだ。攻撃陣はワントップの城彰二を中田英寿と前園がフォローする3-6-1。スピードがあるベベットは鈴木秀人に徹底マークさせた。

最初のシュートは中田のヘディングだったが、ブラジルも徐々にペースアップ。ロベルト・カルロスのFKなどで多くの決定機を作り、日本ゴールを脅かした。日本は川口能活の好セーブなどで、なんとか前半を0-0で切り抜けた。

後半になると、さらにブラジルのシュートの嵐に襲われる。ロベルト・カルロスのクロスにベベットが合わせるなど、日本は防戦一方だった。

しかし、日本はブラジルの一瞬の隙を逃さなかった。後半27分、左サイドから路木がゴール前にロングボール。城をマークしていたアウダイールとボールをキャッチしようと飛び出したジーダが交錯すると、無人のゴールに向かっていたこぼれ球を伊東輝悦が右足で押し込んだ。

耐えに耐えた日本が、ブラジルDFの背後のスペースを突いた狙い通りの先制点だった。

その後はブラジルの鬼気迫る攻撃にさらされたが、川口のスーパーセーブなどでしのぎ切った。シュート4本の日本が、28本のブラジルを破る大金星となった。

グループリーグ敗退も世界にアピール

日本は第2戦でナイジェリアに0-2で敗れ、第3戦はハンガリーを3-2で破って2勝1敗としたが、得失点差でグループリーグ敗退となった。結局、優勝は日本がこの大会唯一の黒星を喫したナイジェリア、ブラジルは3位だった。

平成5年のJリーグ開幕以降、サッカーの人気や注目度は飛躍的に向上していたが、ワールドカップ米国大会の出場を逃し、世界的な実績はまだまだ乏しかった日本にとって、この一戦は世界にアピールする大きな契機になった。この時のメンバーだった川口、中田、城らは後にA代表でも主力となった。