人気低迷も着々と地力つける
男子に比べてまだまだマイナーだった女子サッカーが夜明けを迎えたのが平成23年(2011年)だ。女子ワールドカップ決勝で米国との激闘を制し、男女を通じてアジア勢で初優勝。時差の関係で日本時間午前5時~6時30分に生中継されたテレビの平均視聴率が21.8%と、まさに夜明けを告げる高い数字だった。
日本女子サッカーリーグは平成元年に創設され、初期の頃は男子の読売クラブとともに女子は読売ベレーザが強かった。平成6年には、前年に発足したJリーグにあやかって「Lリーグ」の略称を制定。海外選手が来日したり、専用グラウンドやクラブハウスも建設されたりと盛り上がった時期もあった。
しかし、景気悪化で廃部になるクラブが出るなど、規模縮小を余儀なくされ人気が低迷。平成16年から「なでしこリーグ」という愛称が採用されたが、起爆剤にはならなかった。
ただ、平成20年に東アジア選手権で初優勝し、女子日本代表として初めてのタイトルをつかむと、同年8月の北京五輪ではベスト4に進出。佐々木則夫監督の下、着実に実力をつけていった。
王者・米国に2度追いつき、PK勝ち
平成23年の女子ワールドカップはドイツで開かれた。6回目の出場となった日本は2勝1敗でグループリーグ2位で通過。準々決勝で開催国・ドイツを撃破、準決勝では川澄奈穂美と澤穂希のゴールでスウェーデンを破り、決勝にコマを進めた。
決勝の相手はそれまで一度も勝ったことがない米国。過去2度の優勝経験がある女子サッカー大国で、ワンバックという絶対的エースがいた。
試合は壮絶を極めた。立ち上がりから米国に攻め込まれ、辛くもしのいでいたものの、後半24分にモーガンの先制ゴールを許す。しかし、同36分に宮間あやが同点ゴールを決め、試合は延長に入った。
フィジカルで勝る米国に日本は速いパス回しで対抗するが、延長前半14分、ワンバックが勝ち越しゴール。延長後半に入って時計の針が進むにつれ、さすがに万事休すかと思われた。
しかし、日本は誰もあきらめていなかった。延長後半12分、宮間のコーナーキックに澤が合わせ、またしても同点。米国相手に最後まで勝利への執念を見せた。
120分を戦い抜いた両チーム。PK戦はGK海堀あゆみが2度止めて勝利をつかんだ。ついに世界の頂点だ。澤は最優秀選手と得点王に輝き、チームとしてはフェアプレー賞を受賞した。
国民栄誉賞に流行語大賞も
3月に東日本大震災が起こり、沈みがちだった日本に元気を与えたなでしこジャパン。8月には国民栄誉賞が授与され、「なでしこジャパン」はその年の流行語大賞にも選ばれた。澤はFIFAから女子のバロンドールにあたる「女子最優秀選手賞」に、佐々木監督は「女子最優秀監督賞」に選出された。
4年後の平成27年の女子ワールドカップ・カナダ大会では準優勝。平成31年に開催されるフランス大会への出場も決めている。