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新たな歴史は作られるのか サッカー日本代表のW杯初記録

2018 6/16 12:19SPAIA編集部
ワールドカップ,ロシア大会,ⒸShutterstock
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W杯初出場は1998年のフランス大会

6月14日、ついにロシアW杯が開幕。これから始まる熱戦を前に、寝不足を覚悟している人も多いのではないだろうか?

そんな4年に1度のサッカーの祭典に挑む日本代表。今回は彼らの「W杯にまつわる初記録」を紹介したい。

サッカーファンなら誰もが知るドーハの悲劇。出場を目前にして夢破れたアメリカ大会予選の経験を経て、4年後のアジア最終予選でイラクとのプレーオフに勝利した。そして、我らが日本代表はアジア第3代表として1998年のフランス大会に初出場したのである。

当時の監督はアジア最終予選の途中でコーチから昇格した岡田武史氏。前任の加茂周監督時代からのメンバーを踏襲しつつも、スター選手であった三浦知良選手を最終選考で登録メンバーから外すと発表し大きな話題となった。

当時の登録選手は全員がJリーグの国内クラブに所属し、平均年齢は25.3歳だった。グループリーグはグループHに属し、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦。2度の優勝経験を持つアルゼンチン以外は初出場という初出場でのグループリーグ突破も期待させる組み合わせだったが、結果は3戦3敗。決勝トーナメントへの進出はかなわなかった。

W杯初ゴールは中山雅史の「魂のゴール」

初出場したフランス大会。第1試合のアルゼンチン戦、第2試合のクロアチア戦で零敗した日本代表は、すでにグループリーグ敗退が決まった状況で第3試合であるジャマイカ戦を迎えた。

世界の壁に直面し、苦戦する日本代表の中で、それでも「勝つんだ」という姿勢を多くのサポーターに見せつけたのがゴン中山こと中山雅史だった。

ジャマイカに2点の先制を許していた日本代表は、相馬直樹からのセンタリングをゴール前の呂比須(平塚:現 湘南)がヘディングで左方向に弾き、キーパーの態勢を崩す。そこに猛然と駆け込んできた中山が右足で押し込み、大舞台で日本代表が初めてネットを揺らした。

日本代表の歴史において忘れられない1点がこのゴールである。記念すべきゴールを挙げた中山は、その後もがむしゃらにボールを追いかけ続け、初勝利に向かってシュートを打ち続けた。最後まで奮闘するも追撃及ばず、試合は1-2で終了。最後まで走りきった中山は、試合終了後も悔しさを隠しきれなかった。

試合後の検査で判明したことだが、なんとこのとき中山は右足腓骨の亀裂骨折をしていたことが判明。骨折したまま走り続けた「魂のストライカー」中山が日本代表にもたらした1点は伝説として今でも語り継がれている。

W杯初勝利は2002年日韓大会

初の2国共同開催となった2002年日韓大会。日本代表の初勝利はグループリーグ第2戦、横浜国際競技場でのロシア戦での勝利となった。

後半6分にFWの柳沢敦(鹿島)の絶好のスルーパスを、オーバーラップしていたボランチの稲本潤一(アーセナル)が左でワントラップ。GKのポジションを見極めてから右足で放った浮かし気味のシュートが決勝点となった。稲本は前試合のベルギー戦でもゴールを決めており、このゴールは2得点目となった。

この記念すべき初勝利で勝点3を手にした日本代表は、ベルギー戦の引き分けで得た勝点1と合わせて勝点を4にし、初の決勝トーナメントへの進出を果たした。

W杯への出場や勝利を当たり前のように感じる人も多いかもしれないが、実はW杯への挑戦の歴史はそう長くはない。

今大会でSAMURAI BLUEのメンバーが見せてくれる初記録はなにがあるだろうか。日本代表の新たな歴史が作られることを期待したい。