80年代を支えた背番号10 木村和司
Jリーグ開幕前の80年代。日本サッカーの冬の時代とも言われた当時、日本代表・背番号10番と言えば木村和司だった。正確無比で自由自在なフリーキックを武器に攻撃的MFとして試合を支配し続けた木村に、ついたあだ名は魔術師だ。
1985年W杯予選の韓国戦で見せた40メートルの直接フリーキックは、今も語り継がれる伝説の名シーン。木村を知らなくとも、サッカーファンなら1度は見たことがあるゴールなのではないだろうか。
現在、木村は解説者や指導者として日本のサッカーに貢献している。
ブラジルの血が流れる誇り高き背番号10番 ラモス瑠偉
1977年4月、20歳で日本サッカー界に降り立ったラモス瑠偉。肩まで伸びた強めのパーマが効いた髪と髭がトレードマークだ。
Jリーグ創世記にはヴェルディ川崎で三浦知良や武田修宏のようなスター選手をゲームメーカーとして束ね、風貌からは想像できないほど華麗で献身的なプレーにより、多くのファンを魅了し獲得した。
1989年に帰化し、1990年に日本代表に初招集。その後「日本サッカーの日の出」とも言える5年間を支え、日本サッカー界の成長に大きな影響を及ぼした。独特のキャラクターで人気度も高く、CM出演するなどサッカー以外でも活躍した。
日本屈指のファンタジスタ 名波浩
日本を代表するファンタジスタはと聞かれたら「名波浩」と答えるファンも多いのではないだろうか。日本にとって初出場となった1998年のW杯フランス大会で、背番号10番をつけたのが名波だった。
やや下がり目のボランチをこなしながらも、長短織り交ぜた正確無比なパスでゲームメーカー。利き足は左で、ほとんどのプレーを左足でこなす。当時、日本代表で共にプレーしたあの中田英寿も、サッカー日本代表・背番号10番は名波浩と認めた正真正銘の天才レフティだ。
世界を驚かす日本史上最高のフリーキッカー 中村俊輔
スコットランドプレミアリーグのセルティックには、2006年にマンチェスターUから勝ち取った伝説として語り継がれている2本のフリーキックがある。
1本目は9月13日チャンピオンズリーグで、当時世界屈指の名手と言われたファン・デル・サール(オランダ代表)から奪い取った1点。そして2本目は、11月21日にまたしても同じキーパーから獲得した1本だ。驚くことに、この偉業を成し遂げたのは日本代表・背番号10番の中村俊輔だった。
仮に1度目は偶然だったとして、2カ月後に2度目となると流石に「偶然」とは言い難い。中村は世界を相手に実力で伝説を作ったのだ。
現日本代表・背番号10番 香川真司
現在、日本代表・背番号10番をつけているのは香川真司だ。小柄な体格を活かした香川のスピーディーかつ正確なボールコントロールはトップクラスと言え、ドイツやイングランドなど世界のトップリーグでも結果を残している。
効果的なポジション取りや正確なパスによって、前線で幾度となく味方のチャンスを演出するのが香川のプレイスタイルだ。また、チャンスとみるや否やゴール前に顔を出しゴールを奪うような、決定的な仕事もこなせる器用さも持ち合わせている。
木村やラモス、名波や中村と肩を並べるほどの結果はまだ出せていないが、歴代の選手と見比べても彼程ポテンシャルを持った選手はそうはいない。今後の活躍にぜひ期待したい。