監督に外国人が選ばれるわけ
フィリップ・トルシエやイビチャ・オシム、アルベルト・ザッケローニにヴァヒド・ハリルホジッチなど日本代表監督には数々の外国人監督が選出されている。最近でこそようやく世界にひけをとらない試合ができるようになった日本だが、Jリーグが発足しW杯初出場などに沸いていた頃の日本サッカーは、世界から確実に遅れていた。
1998年初めてのW杯出場。全敗という結果で、それまで気がつきもしなかった世界との圧倒的な力の差が明らかになったわけだ。そこで、日本サッカーに必要となったのが外国人監督だ。世界クラスの選手を何人も率いて戦ってきた経験豊富な監督は、選手個々の能力で足りない部分を埋める大切な役割を担った。
日本が世界と戦うためのスタイルの確立
数多くの外国人監督は、日本が世界の選手と比べて圧倒的に不足している体格差や筋力差など、埋めようの無い差と共に、日本人にあって外国人にないものを理解していたように思える。日本人特有の素早さやテクニック、規律の正しい性格が武器になると考えた監督は多かった。
例えばイビチャ・オシムの提唱した、人もボールも動くサッカーは日本の弱点を晒さず、そして世界に通用する日本人の武器を最大限に活かしたスタイルだと言える。そして、そのスタイルはヒントとなり、今の日本代表のプレースタイルであるパスサッカーの根幹となり生きている。
歴代の外国人監督が伝えてくれた、世界との戦い方はそのまま日本代表のスタイルとなっているのだ。
2度代表を率いた岡田武史監督の先見の明
日本人で唯一W杯を経験した日本代表・監督岡田武史の残した功績は大きい。その中で、岡田武史が日本代表チームに残した一番の功績は「若い才能」ではないだろうか。
あの日本史上最高の天才MF小野伸二、現日本代表10番の香川真司、日本が世界にほこるサイドバックの長友佑都。彼らを初めて日本代表に招集したのが岡田武史監督だ。先見の明を持ち、今後日本代表を支えていくであろう若く有望な選手の才能を開花させた岡田武史監督。他にも10代や若く才能のある選手を数多く招集し、日本の将来のためにチャレンジしているようにも思える選手招集は、他の監督、特に外国人監督にはなかった。
日本人を理解しているからこそ取れる采配なのだ。
日本代表の歴代監督が残したもの
日本代表はじめ、各国の代表が目指すもの、それはW杯だ。4年に1度のこの大会に向けてチーム作りをし、W杯が終わるとメンバー・監督が解散し、1から作り直すというのが普通となっている。不祥事や成績不振により解任される場合もあるが、理想的には4年毎の契約だ。4年毎に決められる代表チームの方向性は監督が決定すると言っても過言ではない。
そしてその方向性に合うように選手達もトレーニングを開始するのだ。トルシエ時代、日本代表は規律を重んじる組織プレーを重視した。オシム時代はパス、ランニング、戦術を、ザッケローニ時代は、バランスと縦に早い攻撃がチームの方向性と決まった。
これらは今の代表で生きていることばかりで、歴代監督が残したものは日本サッカーの土台となり蓄積していると言える。
まとめ
日本はサッカーに関してはまだまだ発展途上だ。世界では中堅くらいの位置づけだろうか。ヨーロッパの代表や南米の代表にはいい勝負はしても勝つということはあまり見れない。W杯のような真剣勝負なら尚更だ。
歴代の代表監督が残したものを大切にしながら、日本サッカーの確立、さらなる発展を心から期待したい。