いよいよ、ロシアへの切符をかけた戦いが再開される
来年のサッカーW杯ロシア大会への出場権をかけたアジア最終予選が3月23日から再開されます。
各組2位までが確実にW杯本大会に出場できる中、グループBの日本は前半の5試合を終えて、6チーム中2位で首位のサウジアラビアとは勝ち点は同じ。W杯出場権内を確保はしていますが、上位4チームが勝ち点1にひしめき合う混戦です。
そして、なによりもライバルとなるサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)とはアウエー(敵地)での対戦を残しています。
FIFAランキングは上だけど
日本のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは51位(3月中旬現在)。サウジアラビアは57位、アラブ首長国連邦は68位。ちなみにオーストラリアも55位で日本より下です。力通りいけば、日本の方がW杯に近い位置にいるのですが、中東の戦いはそう簡単ではありません。
気温、湿度、そしてアラブ諸国の独特の雰囲気。治安が悪いところもあり、恵まれた環境でサッカーをしてきた日本選手が力を出すのは、容易なことではありません。
かつて、日本代表がイエメンで戦ったことを思い出しながら、中東での戦いの難しさを考えていきたいと思います。
選手が不安になってしまう中東
筆者が日本代表とイエメンの試合を見たのは2010年1月にあったアジア杯最終予選。結果から言いますと、若手で臨んだ日本代表は立ち上がりから雰囲気にのまれて2失点。その後、FW平山相太(当時FC東京)を投入してから流れが一変。代表デビューだった平山のハットトリック(ちなみに代表デビューでのハットトリックは1930年の若林以来80年ぶり2人目でした)で逆転し、3―2で勝利しました。
さて、その時は直前に起きた米旅客機爆破テロ未遂事件に関与していたのがイエメンに拠点を置くアルカイダ系組織。米国や英国のイエメンにある大使館が業務を停止するなど、治安情勢が不安定でした。
▲空港を出ると軍人が待ち構えていた。緊迫感が漂う
▲マスコミのガイドだった男性。ガイドなのにナイフをちらつかせた
選手たちには物々しい警護がついていました。どこへ行くにも警察が先導。パトカーが先導するので赤信号も関係ありません(ちなみに、報道陣のバスにも先導がつきました)。練習場では銃やスタンガンを持った警官と軍人が常に10数人いました。
「大丈夫なんですか」
こう記者たちに言ってきたのは、今やドイツで活躍する大迫勇也(当時鹿島)でした。
当時は浦和にいた山田直輝は「銃を持っているのが怖い。両親も心配していた」と不安を隠しきれませんでした。
イエメンサッカー協会は万全の警備を約束していました。確かに警備はしていましたが、それはそれで選手に不安を与えるものでした。
当時の代表監督だった岡田武史監督も「何もないことを祈る」と語っていました。
同じアジアといっても東と西でまるっきり違う気候
中東となると、日本のような東アジアとはまるっきり気候が違います。イエメンの首都サヌアは2200メートルの高地にあるので暑くはなかったですが、サウジアラビアやアラブ首長国連邦では、そうはいきません。3月でも最高気温は30度ぐらいになるようです。
ちなみにイエメンのサヌアは高地にあったため、選手が息苦しさを訴えていました。日本選手はなかなか高地で戦うことがないだけに、「標高」というアウエーの洗礼を受けていました。
でこぼこのピッチに審判の笛。すべてがアウエー
2010年のイエメン戦では、試合当日もものすごい警備でした。軍人がピッチの周りを取り囲んでしまう中での試合。筆者もその異様な雰囲気に驚きましたが、選手はそれ以上だったでしょう。
そして、中東での試合となると観客席は白装束の人でいっぱい。これにも圧倒されるでしょう。試合が始まると、ピッチはでこぼこで、日本のパスサッカーがうまく機能しない。そして、ますます焦る展開になる。イエメン戦はまさにそうでした。
あと、怖いのは審判の笛でしょうか。
イエメン戦では山田直輝が後ろからあまりにもひどいレイトタックルを受け、足を骨折してしまいましたが、相手にはレッドカードが出ませんでした。いろんな意味で日本には敵が多い戦いになる。それが中東での試合だと思います。
最終戦を前に出場権確保を
アラブ首長国連邦とは3月23日、サウジアラビアとは9月5日に敵地で戦います。
サウジアラビア戦がW杯最終予選の最後の試合。中東での試合は何が起こるか分からないだけに、できれば、ここまでに出場権を確保しておきたいところではないでしょうか。