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願ったことが実現!本田圭佑の成功の秘密

2018 2/23 09:59dai06
本田圭佑
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Ⓒゲッティイメージズ

サッカー選手としての本田圭佑、ミランで叶えた夢の3年半

本田圭佑は、1986年6月13日生まれ。大阪出身であり、地元の摂津FCでサッカー選手としてキャリアを歩み始めた。2005年には名古屋グランパスエイトとプロ契約を結び、同年にワールドユース選手権U20に日本代表として出場するなど、順風満帆なキャリアを築いていく。

だが本田が見据えていたキャリアはもっと上のステージだった。小学校の頃に文集で書いた「セリエAのクラブに入団し、背番号10をつけて活躍する」という夢の話はあまりにも有名だ。
本田はこの夢を達成するべく、オランダ、ロシアと舞台を変えながら徐々にステップアップし、2013年の冬には見事ACミラン(以下、ミラン)への入団が決定。背番号も本田が希望した10番に決定した。

ミランの背番号10といえば、ルート・フリット、ルイ・コスタ、クラレンス・セードルフなど、歴代の天才たちが着用した大変価値のある番号だ。そのため本田がこの番号をつける際には
「アジア人がミラン(イタリア)の背番号10を?」
「フリーでやってきた選手が着けるのは……」といった懐疑的な見方も少なくなかった。

それでも本田が時折みせる正確なクロスとチャンスメイクに舌を巻くサポーターも多く、彼の持つ強いフィジカルは当時のミランにない武器であった。
在籍した3年半の間には81試合に出場(うち先発出場は63)、得点数は9だった。攻撃的MFとしてはゴール数こそ少なかったが、一瞬一瞬のインパクトが本田にはあった。
ミラン退団後はメキシコのCFパチューカへ移籍し、主力として定着している。

世界を変える本当に"ビッグ"な本田圭佑、彼の持つ多様な顔とは

サッカー選手としてキャリアを送る一方で、本田は様々な事業に参画している。自身の会社である「HONDA ESTLO」ではスポーツ選手のマネジメントやサッカースクールの運営を行い、日本に限らず世界規模で活動を展開している。
そのほかにもオーストリアやカンボジア、ウガンダのクラブを買収するなど、選手を育てることと選手の活躍の舞台を整えることにも熱心だ。

さらには日本人アスリート初となるMIT特別研究員にも就任。様々な観点から世界の問題解決に取り組む姿勢を明らかにしている。
サッカー選手であり、事業家であり、教育家であり、研究者でもある本田。彼に似合う肩書などはもう存在しないのかもしれない。
彼には彼にしかない革新さがうかがえる。

かつては「ビッグマウス」と揶揄されることもあった本田だが、彼は本当にビッグな男になってしまった。どんな枠にもはまることのなく世界を股にかけ活躍する男、それが本田圭佑だ。

SNSでみせる等身大の本田圭佑、信念を持つ言葉

本田は2017年5月にTwitterを開設し、サッカーのことや自身の事業のことなど、様々な情報を発信している。
そのなかには、日本で議論されている社会問題のこと、自身のライフスタイルのことも含まれている。彼の発言には彼なりのポリシーが見え隠れしており、「俺はこう考える」という強い意志がある。

当然の話だが、その投稿を100人に見せれば100人全員が賛同するようなものではない。それは彼の発言があまりにも芯を持った言葉であるからであり、人々の核に迫ろうとするからだろう。

努力が人よりも続けられる人は必ず成功する。そして努力の方法が分かってる人は大きく成功できる。理由は簡単で、ほとんどの人が努力を続けられへんから。そして努力を続けられへんのは、目的がないか、目的を見失ってるから

出典:本田圭佑Twitter「KeisukeHonda(本田圭佑)」

この言葉は本田のものだ。この言葉通り、彼は明確な目的を持ち、最善を尽くして行動しているのだろう。
そして今も世界を変えるべく歩みを続けている。