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【あの頃の輝き】全国高等学校サッカー選手権大会から生まれたプロ選手

2017 10/13 10:05dai06
高校サッカー
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第79回大会出場!長崎県立国見高等学校、大久保嘉人

大久保嘉人選手(以下、敬称略)は、長崎県立国見高等学校の選手として、第79回大会出場した。

大久保はこの大会で8得点を記録し、得点王に輝いている。どこからボールを蹴らせても、綺麗にコースに飛んでいく彼のゴールは、高校時代から一流の技だった。
しかもこの年(2000年)の国見高等学校は、国体、インターハイ、全国高等学校サッカー選手権の3つを優勝しており、高校3冠を成し遂げていた。その功績の裏には、間違いなく大久保の活躍があった。

2001年にはセレッソ大阪に入団。負傷もあり満足に出場機会を得られなかったが、翌年2002年には18得点と大活躍。チームのエースとなった。なお、その翌年である2003年にも16得点を挙げ、プロ入り後も高校時代と同じように得点力の高さを誇示した。

2006年にはスペインの名門であるRCDマヨルカ(マジョルカとも)に入団。スペインの変幻自在なサッカーにもついていき、監督から一定の信頼を得る。

2007年には日本に復帰し、ヴィッセル神戸、川崎フロンターレ、FC東京などでプレーしている。
非常にキャラクター性に富む大久保は、サッカー選手としてだけでなく、バラエティ番組などでも大人気だ。

第82回大会出場!長崎県立国見高等学校、平山相太

平山相太選手(以下、敬称略)は大久保と同じく、長崎県立国見高等学校の選手として、第82回大会に出場した。
国見高等学校のサッカー部は強豪として名高く、2007年までに同大会に連続で21回も出場している。

当時から体格の良かった平山は、得点だけでなく絶妙なポストプレーを披露。大会では優秀選手にも選ばれている。

2004年から多くのクラブのオファーを蹴って、筑波大学に進学。当時、この平山の選択にサッカー界がざわついたが、これは恩師である小峰氏の助言に従ったものだという。筑波大学に入ってからの平山は、大学サッカーに勤しみリーグ優勝も成し遂げている。
若くして日本代表にも度々招集されたものの、コンディションの調整が上手くいかずプレー時間は少なかった。

それでもオランダに活躍の場を移し、今度はその経験をバネにFC東京に入団。日本人離れした体格はやはり健在で、ピッチでの存在感は抜群だ。

2017年からはベガルタ仙台でプレーしている。

第83回大会出場!滝川第二高等学校、岡崎慎司

岡崎慎司選手(以下、敬称略)は、滝川第二高等学校の選手として、第83回大会に出場した。

岡崎は、1年生の時からレギュラーの座を掴み、高校時代は常に最前線でプレー。兄とタッグを組み、82回大会ではベスト4入りした。
83回大会中はあまり得点に恵まれなかったものの、常に全力で走り続けることのできる選手だった。

プロとなって最初に入団したのは、清水エスパルスだった。当時の監督である長谷川健太氏からは、「FW8人中で8番目」といった評価を受けていたが、やはり高校時代同様にゴールに対して貪欲な姿勢が評価され、徐々にそのレベルを上げていった。

2011年にはドイツのVfbシュトゥットガルトに入団し、リーグ終盤で得点を積み上げた。
そして2013年のFSVマインツ05で日本人選手最多得点記録を更新。2015年のレスター・シティFC(以下、レスター)への移籍を掴みとる。
そのままレスターでは、2015ー16シーズンにリーグ優勝を経験。エースのジェイミー・ヴァーディ選手の裏で黙々とタスクをこなす姿勢が買われ、陰の立役者として人気になった。

人柄にも定評があり、代表チームからは「岡ちゃん」の愛称で親しまれる。頭からサポーターからの支持も厚い。危険を省みないダイビングヘッドは、彼の代名詞でもある。

第84回大会出場!野洲高等学校、乾貴士

乾貴士選手(以下、敬称略)、乾貴士選手は野洲高等学校の選手として、第84回大会に出場し、優勝を経験している。
主に左WGでプレーする彼は、鮮やかなドリブルで相手選手を幾度となく翻弄。そのままゴール前へと切り込み、いくつものチャンスを演出した。
決勝戦では延長戦に突入し、足のつる選手も出るなか激戦を展開。
そして107分に乾が中央に切り込み、味方にバックパス。技ありのこのパスは見事に味方選手に渡り、その選手もそのままサイドにパス。サイドの選手が上げたクロスを瀧川陽選手が押し込み、優勝を掴み取った。

乾はプロ入りしてからも、ドリブルとチャンスメイクに優れる選手だ。
プロの選手としては、横浜・Fマリノス、セレッソ大阪、アイントラハト・フランクフルトなどを経て、2015年にはSDエイバルへ移籍。あのFCバルセロナから初めてゴールを奪った日本人選手となっている。

第87回大会出場!鹿児島城西高等学校大迫勇也

全国高等学校サッカー選手権の歴史のなかでも、大迫勇也選手(以下、敬称略)の活躍は伝説だろう。 彼は鹿児島城西高等学校の選手として、第87回大会に出場した。なお、同高校で大迫の同期には、藤枝MYFCなどでプレーする大迫希選手がいるが、彼らに血縁関係はない。

大迫は、生まれも育ちも鹿児島であり、鹿児島城西高等学校の看板選手でもあった。高校に入学したタイミングでU16日本代表に選ばれていたこともあり、周囲から彼に注がれた視線は相当熱かったと思われる。

しかし、大迫はそのプレッシャーに負けはしなかった。

第87年大会では10得点10アシストを記録。惜しくも準優勝という結果に終わるが、大会最多得点記録を樹立する。GKとの1対1、ループシュート、倒れながら押し込んだシュート、強烈なミドルシュート、コースを突いたコントロールシュート。
彼の10ゴールは、どれを見ても「技あり」と言ってよいものばかりだ。点を決めた後のクールな振る舞いからは、威厳さえ漂っている。彼はゴール前で何でもできるFWだった。

なお、大迫に対しては「大迫ハンパない」というフレーズが付いて回るが、この言葉は準々決勝で大迫と対戦した、滝川第二高等学校の中西隆裕選手(以下、敬称略)のコメントに由来する。
中西は試合後涙ながらに「大迫ハンパないって、もう……。あいつハンパないって。後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん……。そんなんできひんやん普通」と語った。
大迫の活躍は同年代からみてもずば抜けていたようだ。

そして大迫は2009年に鹿島アントラーズに入団し、シーズンで6得点を記録。この記録は、同クラブのレジェンドである柳沢敦氏が記録した、高卒加入者の最多得点数とタイだ。

その後はドイツのTSV1860ミュンヘン、FCケルンなどで活躍している。高校時代同様に、様々なシーンからゴールに絡んでいる。

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