元はインテルの選手?レオナルド・ボヌッチのユヴェントス加入
イタリアを代表するDF(CB)、それがレオナルド・ボヌッチ選手(以下、敬称略)だ。生まれたのは1987年5月1日。
ボヌッチはユヴェントスFC(以下、ユヴェントス)不動の3バックの一角としてよく知られるが、実際にはそのライバルチームであるインテルナツィオナーレ・ミラノ(以下、インテル)のユース出身だ。インテルがユヴェントスに向けるライバル意識は、同じスタジアムを本拠地とするACミラン(以下、ミラン)に向けるそれよりも大きい。セリエAの覇権を争い、常に第一線で戦ってきたからだ。
ユヴェントスはカルチョポリの処分により、2006-07シーズンをセリエBで戦っているが、それまではインテルとユヴェントスのみがセリエAで降格を経験していない唯一のクラブだった。
ただボヌッチはインテルのユース出身とはいえ、2005年にインテルのトップチームデビューした後は複数のクラブにレンタルに出され、さらにいくつかのクラブへの移籍を経た上でユヴェントスに加入している。そのため、特にインテルの選手であるという見方はされていない。
2010年の夏にユヴェントスに加入してからは、最初は上手くフィットできず伸び悩む時期が続いた。しかし、後にイタリア代表監督も務めるアントニオ・コンテ監督(以下、敬称略)の下で3バックの一角に置かれると、最高のパフォーマンスを披露。このボヌッチ、ジョルジョ・キエッリーニ選手、アンドレア・バルツァーリ選手らの3バックが本当に強い。クラブでも代表でもいくつもの危機を救い、世界最高のディフェンスラインとして機能した。
テクニック&パワー!闘将ボヌッチのプレースタイル
ボヌッチのプレースタイルを端的に表すならば、「テクニック&パワー」だ。後方からのロングフィードの精度に優れ、前線にいる味方選手の攻撃を後押しする。再確認しておくが彼はDF、しかも定位置はCBだ。CBというとパスの技術はそれほど高くないのが普通だが、ボヌッチは違う。相手陣営に生まれたスペースを瞬時に見抜き、そこに正確なボールを放り込むことができる。ボヌッチのロングフィードにより、カウンター攻撃の促進が期待できる。
守備においては優れた跳躍力とポジショニングにより、相手の攻撃を潰すことに長ける。競り合いに負けず、相手の攻撃を読み取ることにも優れ、どんな相手に対しても怖じ気づくことがない。彼には「闘将」という名がふさわしい。
これら優れたボヌッチの能力は、いくつものクラブから注目された。ただ、ユヴェントスで定位置を守り続け、タイトルを獲得し続けるボヌッチが移籍をすることはない。また、ユヴェントスもそれを許すはずがない。多くの者はそう考えた。
しかし、その見方は2017年夏に思わぬ形で覆されることになる。
新生ミランの柱!ボヌッチ移籍の裏事情
2017年夏の市場においてのミランは、積極的な補強を敢行した。オーナーが代わり豊富な資金力を手にしたミランは、若く優秀な選手を獲得。どの選手も多くのクラブが狙っていた注目株ばかりだったが、驚くほどスピーディーに話をまとめていった。
だが、足りないものがあった。それが「チームの柱」だ。
そこでミランが目を付けたのが、ボヌッチだった。ミランとユヴェントスも長年セリエAでしのぎを削ってきた仲であり、彼の獲得は難しいと考えられた。
しかし、ボヌッチのミランへの移籍騒動が取り沙汰されてすぐに、次はあっという間にクラブ間合意という報道が出る。話はトントン拍子で進んでいた。
どうやらミランは、生え抜きであるマッティア・デ・シリオ選手(以下、敬称略)をユヴェントスに好条件で譲渡する約束をしたことで、ボヌッチの獲得を成功させたようだ。
ミランはボヌッチを獲得するのに約54億円をかけたとされるが、ユヴェントスがデ・シリオを獲得するのに要したのは約15億円。生え抜きをライバルに売却するにはかなり安い金額だろう。
この一連の動きは、ボヌッチとデ・シリオの実質上のトレード移籍だ。ユヴェントスはこの市場でSBのダニエウ・アウヴェス選手を放出していたこともあり、デ・シリオのような左右両足の使える器用なSBが必要だったに違いない。
さらにボヌッチ自身がユヴェントスでの扱いに満足していなかったことも、移籍を加速させた理由だ。
ボヌッチへの待遇の悪さは真か偽か
ミランに移籍した理由として、ボヌッチ自身はユヴェントスに欠かせない選手としての扱いを受けられなかったことを理由にしている。
またボヌッチは、コンテから仕事を引き継いだアッレグリ監督と(以下、敬称略)の間に衝突があり、その直後のCLでメンバー外にされたことがあった。この衝突をメディアは移籍の大きな理由としたが、ボヌッチ自身は「そういったことは前にもあったんだ。(自分の力の)100%をチームに注がなくちゃいけないと感じなくちゃいけない。でも、それがユヴェントスでは時々しか感じられなかった」と語った。
アッレグリはユヴェントスでセリエAを連覇し、CLでも好成績を残したことで絶大な力を持っている。そういった監督の下では、選手が窮屈になってしまうことがある。ボヌッチも例外ではなく、環境を変えようと思ったのが移籍の理由になるようだ。
ボヌッチはミランでタイトルを狙えるのか?
ミランに移ったボヌッチの背番号は19。この番号はユヴェントス時代にも使用しており、ボヌッチのなかでは大切なものだ。だが、この背番号は先に加入していたフランク・ケシエ選手(以下、敬称略)が着用することになっていた。
ケシエにとっての19は父親の命日にあたるもので、ボヌッチ同様に大切な意味があった。しかし、紆余曲折あった末にキャリアの浅いケシエがボヌッチに背番号を譲ったようだ。ボヌッチは愛着のある背番号19をものにし、ケシエは79の背番号を着用することになった。
19と79、おそらくケシエはシルエットが似通っているという理由で、渋々79を選んだのだと思われる。ケシエのせめてもの抵抗だろうが、どうかこの2人が抜群の相性を見せてくれることを祈りたい。
そしてミランは、長かった低迷期に終わりを告げるのかもしれない。移籍市場ではこれまでに類を見ないほど積極的に動き、大金を投じ数多の有望株を獲得した。プレシーズンもなかなか好調で、ボヌッチのリーダーシップにも期待がもてる。
タイトルを狙える準備は整った。闘将ボヌッチを柱に据え、新しいミランは前へと歩き出している。