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【懐かしのワールドカップ】サッカー日本代表を率いた歴代監督を分析

2017 6/30 12:56dada
サッカー ボール
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突然の就任!1998年大会岡田武史

1998年大会の監督は岡田武史監督(以下、敬称略)が務めた。
この時岡田は、前任の監督が更迭されたことによる急な抜擢での監督就任だった。 しかし、チームを何とか立て直し「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる奇跡的な勝利を挙げ、本大会への初出場をものにした。
イラン代表との試合は延長までもつれ込んだが、延長後半13分に岡野雅行氏がこぼれ球を押し込んだ。この瞬間、岡田を始め多くの選手が歓喜し、地上波放送も47.9%の高数値をたたき出した。テレビの前でも多くの国民が歓喜したことだろう。
後々グループステージで日本代表は敗退することになるが、日本代表は世界にも挑戦できるという自信を勝ち取った。岡田はこの大会終了後に代表監督を辞任した。
ちなみに、この時の日本代表のユニフォームには炎があしらわれていた。この炎は日本代表を勝利に導く炎として語り継がれており、2017年の5月にはW杯初出場20周年を記念して、メモリアルユニフォームが発売されている。

あの監督からの紹介?!2002年大会フィリップ・トルシエ

2002年大会ではフィリップ・トルシエ監督(以下、敬称略)が監督を務めた。
アフリカのあちこちの国で監督を務めた彼は、「白い呪術師」の異名をとった。
トルシエの招聘に際しては、事前にアーセン・ヴェンゲル監督(以下、敬称略)へ
のコンタクトがあった。ただこの時のヴェンゲルは、名古屋グランパスエイトからアーセナルFCへのステップアップを果たしたタイミングであり、日本代表監督の就任を辞退する。 そのヴェンゲルから紹介されたのがトルシエだったのだ。
トルシエには2000年の段階で解任の声が挙がったが、1998年のW杯王者であるフランス代表に2-2で引き分けや、ジャマイカ代表に4-0で勝利をおさめ解任を回避し 2年の契約を全うした。協会は再びヴェンゲルの招聘に動くが、これもヴェンゲルに拒否され、トルシエと契約を延長する。
2002年のW杯は日韓の共同開催であり、国民から大きな注目を集めたが、中村俊輔選手を代表から外したことが物議を醸した。 しかし、日本代表はグループステージで2勝1分けの好成績を収め、決勝トーナメントに初進出。 トルシエはヴェンゲルの招聘の失敗によって招かれ、なんとも酷な状況ではあったかもしれない。しかし、決勝トーナメント進出という成績は十分な出来だったのではないだろうか。

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