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国見高校サッカー部は、高校サッカー史に名を刻む全国優勝6回

2017 5/15 09:56kinsky
サッカー
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Photo by makieni/Shutterstock.com

長崎県の国見高校サッカー部は、これまでJリーガーを数多く輩出しているサッカーの名門中の名門校です。過去の輝かしい歴史を振り返るとともに、最近の現況などについて紹介します。

全国に鳴り響く「国見時代」を築いたサッカー部

国見高校は長崎市雲仙市国見町にある県立の学校で、設立は1949年です。サッカー部が創設されたのは1967年で、当初長崎県では島原高校、島原商業などが全国大会に出場する一時代を築いていました。しかし、国見高校は1986年に初めて全国高等学校サッカー選手権に出場するといきなり準優勝し、高校サッカー界に衝撃を与えました。
初出場に続く2回目の出場で国見は何と全国優勝という快挙を達成しました。その後、長崎県ではすっかり「国見時代」に突入し、国見の「一強他弱」と正に独走状態でした。

指導者として偉大な足跡を残したのが小嶺元監督

国見高校サッカー部を強くしたのは元監督の小嶺忠敏氏です。小嶺氏を語らずして同校サッカー部を語ることはできません。小嶺氏がサッカー部の監督に就任したのは1984年です。
それまで、小嶺氏は島原商業高校の監督で10年連続全国高等学校サッカー選手権出場などの実績がありました。小嶺氏が国見高校で指揮を執って以来、国見高校サッカー部は目を見張る快進撃を続け、2007年の総監督としての退任まで21回もの全国出場という偉大な功績を残しました。

国見高校の活躍により、地元はサッカーのマチとして知られる存在に

国見高校サッカー部の輝かしい歴史を振り返ると、まず全国高等学校サッカー選手権には23回という出場を誇っています。初優勝は1987年で、2003年まで6回の全国優勝があります。準優勝も3回、ベスト4も3回で、この時代は大会の幕開け前から王者・国見が不動の優勝候補として、全国の高校から対戦が恐れられていました。
九州の西端にある小さなマチ・雲仙市国見町は国見高校の活躍により、「サッカーの聖地」や「サッカーのマチ」として全国的にも有名になりました。

主役を他校に奪われる苦しい時代に突入

国見高校サッカー部の小嶺元監督はJリーグ得点王・大久保嘉人選手(FC東京)、綱田大志(カマタマーレ讃岐)などのプロ選手を数多く育て上げ、2007年に国見高校から離れました。
次に監督に就任したのは瀧上知巳氏で、現在は元監督・小嶺忠敏氏の遠い親戚でもある小嶺栄二氏が監督です。しかし、残念ながら国見高校は小嶺元監督が指揮する長崎総合科学大学附属高校に県代表としての主役を奪われている状況です。冬の全国大会には2010年を最後に出場には至っていません。

国見高校は栄光を取り戻すため、チャレンジ中

2016年秋、国見高校は6年ぶりの全国高等学校サッカー選手権出場を目指して長崎県予選を戦いました。3回戦から登場した国見高校は長崎明誠校に5対0で勝利し準々決勝に進みましたが海星高校に0対1で惜敗し、全国出場の夢は絶たれました。
2017年に入り長崎県高校サッカー新人戦が行われましたが、国見高校は3回戦で姿を消す結果となりました。夏の高校総体や冬の全国大会出場に向けてチャレンジを続けます。

まとめ

全国高等学校サッカー選手権で6回の優勝を飾っている長崎県の国見高校ですが、ここ数年主役は振興の高校に奪われ、全国大会で国見の名が聞かれていません。数々の名選手を輩出した古豪・国見の復活が待たれています。