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なでしこリーグきっての古豪、伊賀フットボールクラブくノ一

2017 4/12 21:06Aki
サッカー
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出典 https://mainichi.jp/

1989年に発足した女子サッカーリーグの全国リーグ、日本女子サッカーリーグに参加した最初の6チームのうちの1つである伊賀フットボールクラブくノ一。 近年は厳しい結果が続いていたが、2017年シーズンは古豪復活を目指し、創設41年目のシーズンを戦う。

日本の女子サッカーリーグで最も歴史ある市民クラブ

創設はなんと41年前の1976年。関東や関西を中心に日本サッカー界で最初に女子サッカーチームが数多く設立されはじめると、その流れを受けて三重県上野市(現伊賀市)に伊賀上野くノ一サッカークラブが創設される。
当時はまだ全国リーグがなく、1980年に全日本女子サッカー選手権が立ち上がってからも、東海地方には1978年にサッカーどころ清水で設立された清水第八スポーツクラブなど強豪チームがあり、地域予選を勝ち抜けない無名のチームだった。
その後、1989年に初の全国リーグである日本女子サッカーリーグ発足を受けて、伊賀町(現伊賀市)に工場を持つプリマハムがスポンサーとなり、選手を引き受ける形でプリマハムFCくノ一となることに。日本女子サッカーリーグの創設6チームの1つとなる。当時の6チームのうち現存しているのは他に現日テレ・ベレーザのみだ。

1990年代に迎えた黄金期

プリマハムFCくノ一は、1989年にジェフユナイテッド千葉の前身である古河電工でプレーして日本代表にも選出され、現在はサッカー解説者として活躍する宮内聡氏を監督に招聘。すると、チーム力がメキメキ上がっていき、1995年にはリーグ及び全日本女子サッカー選手権の2冠を達成。
このシーズンはリーグ戦で日本女子サッカー史上唯一となる全勝優勝を達成しており、カップ戦となる全日本女子サッカー選手権も含めて公式戦全勝というとんでもない記録を達成している。
宮内氏はその後兼任で日本女子代表コーチ・監督も務め、長らく日本女子代表の守護神を務めた山郷のぞみさんら、数々の日本女子代表選手を輩出する。

2009年クラブ史上初の2部リーグを戦うことに

2000年頃に日本女子サッカー界全体への興味が急速に低下し、そこに日本経済界全体の低迷が合わさることで、これまで日本女子サッカーを支えていたスポンサーが次々と撤退を表明。プリマハムFCくノ一もプリマハムが撤退し、伊賀フットボールクラブくノ一として市民クラブとなる。
すると、チームの経営も苦しくなり、2007年、2008年と2年続けて2部との入れ替え戦を戦うことに。そして2008年にはPK戦の末スペランツァF.C.高槻に敗れ2部降格が決定。2009年はクラブ史上初となる2部リーグでの戦いとなった。

厳しい戦いを続けながらも1部で戦い続ける

2009年にクラブ史上初となる2部リーグを戦った伊賀フットボールクラブくノ一だが、そのシーズンを2位となり入れ替え戦に出場。前年に苦杯をなめたスペランツァFC高槻に雪辱を果たし、1年での1部復帰を達成する。
その後は厳しい予算の中ギリギリの戦いを続けながらも、監督に現役時代は横浜フリューゲルスでプレーし、昨年は京都サンガのヘッドコーチを務めていた大嶽直人氏や、名古屋グランパスの中心選手としてプレーし、その後アビスパ福岡や鹿児島ユナイテッドFC、今季はAC長野パルセイロの監督を務める浅野哲也氏など、男子チームの指導者としても実績のある人物を招聘することで、何とか1部リーグにとどまり続けることに成功。地域密着を掲げて戦っている。

野田朱美監督のもと名門復活を目指す

現在監督を務めるのは、女子サッカーが初のオリンピック競技となったアトランタオリンピックでの日本女子代表で10番を背負い、女子サッカー界の創世記を支えた野田朱美さん。
日本サッカー協会の理事など協会の仕事をメインにされていたが、2014年にJリーグの監督も務めることができるS級ライセンスを女性指導者として4人目に取得し、2016年シーズン途中からチームを率い、その初陣で強豪INAC神戸レオネッサに逆転勝ちをするなどチームを持ち直しに成功。 今季はシーズンを通じて指揮を執ることで名門復活を目指している。

まとめ

日テレ・ベレーザやINAC神戸レオネッサの2強に続けと、AC長野パルセイロ・レディース、ノジマステラ神奈川相模原など新しいチームも力をつけてきたなでしこリーグ。伊賀フットボールクラブくノ一も古豪復活を目指し、「漸進(ぜんしん)」をスローガンに掲げ2017年を戦う。

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