唯一の実業団チーム2012年に誕生
ノジマステラ神奈川相模原が誕生したのは2012年。家電量販店のノジマが、選手はノジマの社員として仕事をしながらプレーするという実業団チームとしてノジマステラ神奈川を発足させる。
チーム立ち上げ初年度は新規チームとして神奈川県女子サッカーリーグ3部でプレーすることになるが、発足時からなでしこリーグ1部でプレーすることを想定し作られたチームは圧倒的な強さを見せ、全試合5得点以上、シーズンを通じて無失点という成績で優勝。皇后杯関東予選も勝ち抜いたことで、特例により2部に相当するチャレンジリーグ入れ替え戦に出場。チャレンジリーグ昇格を決める。
跳ね返され続けた1部の壁
初の全国リーグで戦うことになった2013年、シーズン序盤は快進撃を見せるが、夏場以降は怪我人や相手の研究も進み、勝てない試合も増えて4位でシーズン終了。翌2014年は序盤つまずくものの、中盤以降に強さを取り戻すと、優勝を狙える位置にまで順位も上昇。しかし、最終節にこのシーズン優勝のスペランツァFC大阪高槻と引き分けたことで3位でシーズンを終えることになり、1部昇格には届かなかった。
さらに大型補強を行った2015年は2位でシーズン終了。1部との入れ替え戦に出場するが、前年に最後の壁として立ちはだかったスペランツァFC大阪高槻との対戦は、初戦はホームで2点の先制を許すものの後半アディショナルタイムに追いつき劇的なドロー。2戦目のアウェイではシュート数では圧倒したものの、ゴールは遠く0-0。アウェイゴールの差で敗退となり、再び1部昇格を逃すことになる。
感涙の無敗優勝
悔しさを糧にした2016年シーズンのノジマステラ神奈川相模原は、開幕から無敗で勝ち点を重ね続ける。しかし、2位で追いかけるちふれASエルフェン埼玉もわずか1敗で追いかけ、2チームのデッドヒート状態でシーズン終盤に。そして迎えた16節、ホームでの直接対決。勝てばノジマステラ神奈川相模原の優勝決定という試合だったが、1-1のドローに終わり足踏みすることに。
しかし、翌17節のセレッソ大阪堺レディース戦、有望な若手が揃う相手チームに苦しめられるが、試合終了間際のゴールで追いつき優勝決定。寮生活を通じて衣食住を共にするチームは、そこで培った固い絆を感じさせる素晴らしいチームとなり、チーム創設5年目にして初の1部昇格を果たす。
最後の東京電力女子サッカー部マリーゼ監督、菅野将晃が率いるチーム
創設以来一貫してチームの監督兼ゼネラルマネージャーを務めるのは菅野将晃氏。
ジェフユナイテッド市原でもプレーし、その後、水戸ホーリーホック、大宮アルディージャ、湘南ベルマーレでも監督を務めた菅野氏は、2009年より女子サッカーの指導者となり、Jヴィレッジを本拠地とする東京電力女子サッカー部マリーゼの監督を務め、攻撃サッカーをベースに2年連続3位の好成績を収めていた。
彼の下で大きく花開いたのは鮫島彩選手。しかし、2011年の東日本大震災福島第一原子力発電所事故でチームは活動自粛、そして解散。このチームはベガルタ仙台がベガルタ仙台レディースとして翌年からチームを受け入れることになるが、菅野氏はチームを離れる。
この菅野氏に声をかけたのがノジマ。実はノジマは最終段階までマリーゼの移管先に手を上げており、移管はならなかったものの新チームを立ち上げ、クラブの初代監督に就任した。
注目は元ヤングなでしこ、田中陽子選手
ノジマステラ神奈川相模原の名前が広く知られるようになったのは、2015年に元ヤングなでしこの田中陽子選手が加入した時だっただろう。
15歳にして出場した2008年U-17ワールドカップ、2012年のU-20ワールドカップと国際大会で大活躍を見せ、なでしこジャパンの将来を担う存在として期待された田中選手だったが、加入したINAC神戸では厚い選手層の前に苦しみ、また期待を受けてなでしこジャパンに招集されるも自分のプレーができないという苦しい状態が続いていた。
そんな状況を打破するために田中選手は移籍。JFAアカデミー在籍時に同じ場所を拠点としていた当時のマリーゼの監督、菅野将晃氏率いるノジマステラ神奈川相模原へというのは必然だった。
現在、田中選手は自分のプレーを取り戻しつつある。そしてついに1部に戻ってくる。
まとめ
チーム創設5年目にして、ついに2部で初優勝、1部昇格を果たしたノジマステラ神奈川相模原。
強豪が揃う1部リーグに初参戦という新しいチームではあるが、今季最も期待を集めるチームだ。
2017年はノジマステラ神奈川相模原に注目してみてはいかがだろうか。