なでしこジャパンの栄光と同時進行したヤングなでしこ世界の躍進
日本の女子サッカー界に過去最大の歓喜が訪れたのは2011年7月、アジア勢で男女通して初となるワールドカップ優勝の瞬間だった。さらに翌年はロンドンオリンピックで銀メダルを獲得、なでしこジャパンは世界屈指の強豪として君臨した。
それは同時に「なでしこの系譜を引き継ぐ者たち」への期待にもつながっていく。2002年から始まったU-19女子選手権において、ヤングなでしこはアジアでは結果を残すものの世界選手権ではベスト8止まりとなっていた。
アンダー世代への地道な育成は2011年のU-19アジア女子選手権で3度目となる優勝、そして2012年のU-20女子ワールドカップで3位を獲得し、遂に成果を表す。この大会で主将を務めた藤田のぞみ選手や猶本光選手、田中陽子選手などがメディアに取り上げられ、ヤングなでしこは広く世間に知られる存在となった。
2012年、ヤングなでしこが勢いに乗ったW杯メキシコ戦
2012年のU-20女子ワールドカップでヤングなでしこが好成績を収めた理由はさまざまだ。この大会は日本で開催されたため、地の利があったともいえるだろう。しかし、地元開催という緊張感から選手たちを少なからず開放し、その後の試合を良い雰囲気で迎えられたという点で、グループリーグ初戦のメキシコ戦に快勝したことは大きかったはずだ。
この試合は宮城スタジアムに9千人以上の観衆を集め、序盤は硬さも見られたヤングなでしこの面々だが、32分に柴田華絵選手がペナルティエリア内で相手選手2人をかわしシュートを決める。これで勢いづいた日本は計4得点を挙げ、メキシコの反撃を後半ロスタイムの1点に押さえて幸先の良いスタートを切った。
メディアを騒然とさせた、田中陽子選手のフリーキック
2012年のU-20女子ワールドカップは、日本サッカーの女子選手育成が正しい方向に進んでいることを確認できた大会だった。機動力や基本技術を生かしたパスワークは相手の脅威となり、戦術理解を伴った組織力は世界で模範とされた。また、左右両足を使える選手として田中陽子選手が注目を集めた。
グループリーグ最終節のスイス戦、田中選手は直接フリーキックを利き足の右で1得点、そして左足でも1得点し、新聞やニュースは名シーンとして取り上げた。また左足でのコーナーキックでアシストを決めるなど、両足で精度の高いボールを蹴られる技術が世界で通用することを立証したのだ。
3位決定戦でも先制点を決めた田中選手は、この大会で通算6得点を挙げて得点ランク2位に輝いた。
強敵を難なく撃破したヤングなでしこ2016年の底力
舞台は変わって2016年、第8回のU-20女子ワールドカップでも、ヤングなでしこは3位という結果を残した。しかし世界への躍進を果たした2012年大会とは異なり、優勝を現実的な目標にしていたこの年のヤングなでしこにとって、3位は悔しい結果でもあったようだ。
現在のなでしこジャパンを率いる高倉麻子監督が育成した選手を中心に、結束の固いヤングなでしこは南国の地パプアニューギニアで最高のスタートを切った。前回大会の準優勝国ナイジェリアを相手に、初戦で6-0という圧勝を飾ったのだ。籾木結花選手と上野真実選手が3得点ずつを挙げた日本は、最後までナイジェリアに反撃を許さず完勝、最大の目標に向けて難敵を撃破した。
史上に残る消耗戦となった準決勝フランス戦
「ワールドカップ優勝」を合言葉に準決勝まで勝ち進んだヤングなでしこ。決勝進出をかけたフランス戦は消耗の激しい戦いとなった。11月末にもかかわらず30度を超える気温と高い湿度の中、前後半を0-0で終えた試合だが、延長9分にわずかな隙を突かれ失点すると、11分には手痛い追加点を許す。延長後半に籾木選手がPKから1点を返すも同点には追いつけず、120分の激戦は1-2で終止符を打った。
この準決勝では前半29分に宮川麻都選手、後半14分には上野選手が負傷交替しており、戦術的な選手交替ができなかった不運もあった。しかし、高倉監督は体の強さや判断力を課題として、負傷交替を言い訳にすることはなかった。
3位決定戦ではアメリカに1-0で勝利したヤングなでしこだが、決勝進出と優勝は悲願の目標として次世代に託されたのだ。
まとめ
世界の頂点に向かってヤングなでしこが挑み続ける道程は、いまだ志半ばとなっている。
しかし、世界の舞台で3位という成果を挙げるまでには、いくつもの名シーンがあったことも事実だ。
次回のU-20W杯は2018年。ヤングなでしこの新たな名シーンに期待しよう。