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2015ラグビーワールドカップで活躍した選手たちの「花園時代」

2017 11/10 12:24あんこ
rugby world cup 2015 japan
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日本ラグビー界のスター 五郎丸歩は「花園」3年連続出場

2015年は「五郎丸」がブームとなった。2015年のワールドカップに出場した五郎丸歩選手は、FBとして日本を奇跡的な勝利へと導いた。
何より話題になったのは「五郎丸ポーズ」とよばれる五郎丸選手の独特なポーズだろう。ワールドカップ終了後にはメディアで数々と取り上げられ、ラグビーブームをもたらした。

五郎丸選手は1986年に福岡県で生まれ、3才からラグビーを始めた。小学4年生から6年生まではサッカーに専念し、中学生になってからは、サッカーとラグビーの両立を目指す。佐賀工時代にはラグビーに専念し「花園」を目指した。
「花園は人生でいちばん憧れ、価値のある場所だった」と語る五郎丸選手は、佐賀工で3年連続憧れの場所「花園」へ立つことができたのだ。

「全国を目指す選手ではなかったのに、全国を目指す高校に入ったので練習はきつかった」のだと言う五郎丸選手の基礎は、全てこの佐賀工時代に培われた。3年間ベスト8の成績で終わった「花園」だったが、良い思い出も悪い思い出も、全てが今の五郎丸選手へと繋がっている。

ラグビー界のスピードスター 藤田慶和は「花園」で負け知らず

2019年のワールドカップに向けての日本代表候補選手強化合宿(2017年9月15日、16日)に召集された藤田慶和選手。2015年のワールドカップでは、最終のアメリカ戦まで出場機会がなかった。奇跡の勝利を間近で見つめ、心から応援しながらも、やはり悔しい気持ちがあった。

藤田選手は1993年に京都府で生まれた。小学3年生から父親指導の下にラグビーを始め、京都で有名な選手へと育っていく。父親と同じ京都のラグビー名門校、伏見工には進学せず親元を離れ、福岡の名門校、東福岡へ進学した。
藤田選手は、強豪、東福岡で1年時からレギュラーを獲得し「花園」初出場、初優勝を飾ると「連覇」を宣言し、有言実行を果たす。
日本チーム相手には公式戦79連勝(1引き分けを含む)「花園3連覇」の偉業を成し遂げ、「花園の怪物」と呼ばれたのだ。

しかし、順風満々だったラグビー人生は高校までで、大学以降は怪我に苦しむ姿が目立った。その中で掴んだ今回の日本代表合宿への召集は、2019年ワールドカップへ向けての切符である。
「ワールドカップにはもちろん出たい。2019年は全試合に出場できるような信頼される選手になりたい」と藤田選手は語る。怪我を克服し、目標であるワールドカップや憧れのスーパーボールで活躍する「花園の怪物」の姿に期待したい。

初代サンウルブズ主将 堀江翔太は「花園」未経験

ラグビーの国際大会である「スーパーボール」に2016年から参入した日本チーム「サンウルブズ」で初代キャプテンを務めた、堀江翔太選手。2015年のワールドカップに出場し、奇跡の勝利といわれた南アフリカ戦にフッカーとして出場し、大活躍を見せた。
「世界で最もスキルがあるフッカーの一人」とまで呼ばれる堀江選手だが、意外なことに「花園」の経験がない。

堀江選手は1986年に大阪で生まれ、小学5年生からラグビーを始めた。ラグビーの素人ながら体格がよく、6年生になった時には「止められない」選手に成長していた。中学にはラグビー部がなくバスケ部へ入部するが、恵まれた体格はバスケでも通用し、1年からスタメン入りの活躍だった。
バスケの練習と並行しながらラグビーの単独練習を続け、公立の島本高校へと進む。堀江選手の高校時代は、啓光学園(現・常翔啓光学園)や大工大高(現・常翔学園)、東海大仰星などの私立高がラグビー界では圧倒的に強く、私立のどこかが「花園」へ出場している状況だった。

堀江選手が3年時、大阪府予選で最強の一角、大工大高を下し、決勝へと駒を進めるが、東海大仰星に敗れ「花園」出場は果たせなかった。
堀江選手が「花園」の土を踏んだのは、代表選手ではなく代表選手の補助係としてだった。補助係だった堀江選手の才能を見抜き、帝京大へスカウトした岩出雅之監督の慧眼がなければ、あの「南アフリカの奇跡」はなかったのだ。