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ラグビー選手“五郎丸歩”の生い立ちや功績をご紹介

2017 1/18 19:02
ラグビー,ⒸShutterstock.com
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Photo by Melinda Nagy/Shutterstock.com

2015年にイングランドで行われたラグビーワールドカップで日本チームが大活躍したことから一躍有名になった五郎丸歩選手。 独特の“五郎丸ポーズ”で注目を集めた五郎丸歩選手の生い立ちや功績を紹介していく。

五郎丸歩選手の生い立ちとラグビーとの出会い

1986年3月1日に福岡県福岡市で生まれた五郎丸歩選手。
彼がラグビーと出会ったのは、ラグビー好きだった両親の影響から。3歳からラグビーに触れていた五郎丸選手は、近所にあったラグビースクールに3人の兄弟と一緒に入団した。
小学生となった五郎丸選手は、3年生の時に地元の鶴田サッカークラブに入部。小学5年生になった頃にはすでに身長が160cmを超えており、恵まれた体格のセンターバックとしてサッカーでも大活躍した。

サッカーとラグビーを続けた五郎丸歩選手の選択

福岡市立老司中学校に入った五郎丸歩選手は、サッカー部に所属しながら筑紫ヶ丘ジュニアラグビースクールにも通い続ける。サッカーでの実力も強豪高校の東福岡サッカー部の監督の目にとまり、勧誘された経験もあるほど。
そんな二足のわらじを履く五郎丸選手だったが、佐賀県立佐賀工業高校に進学した時には、サッカーは選ばずラグビー選手としての道を歩み始める。
そして、練習を重ねて実力を伸ばし、全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場して3年連続ベスト8。また、全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会では2年連続で準優勝するなど、数々の実績を挙げていく。

大学時代からトップリーグへと進んだ五郎丸歩選手

高校を卒業し早稲田大学へと進んだ五郎丸歩選手。早稲田大学スポーツ科学部に入り、1年生からレギュラーとして大活躍し、在学中には3度の日本一も経験している。そんな輝かしい成績を残した五郎丸選手は、大学卒業後に社会人ラグビーチームのヤマハ発動機ジュビロに入団した。
輝かしい学生時代の活躍から一転、入団したトップリーグでは低迷して伸び悩む。しかし、猛練習を重ねて実力をつけ、ベストキッカーを2年連続受賞、2011年と2012年には得点王に輝いた。

ラグビー日本代表に選出された五郎丸歩選手

トップリーグで五郎丸歩選手は大活躍を続け、やがてラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出された。実は日本代表に選ばれたのは初めてではなく、大学在学中の19歳の時に代表としてデビューしている。
それから10年間にわたって努力を重ねた結果、ヘッドコーチのエディー・ジョーンズさんの目にとまり、コーチの明確な指導のもと日本代表として練習を重ねていく。そして3年間で7キロも体重を増やすなど、日本代表として肉体改造にも取り組んだ。

ラグビーワールドカップ2015でチームとともに五郎丸歩選手が大活躍

ヘッドコーチのエディー・ジョーンズさんのもと、肉体改造に取り組んだ五郎丸歩選手。日本代表として挑んだラグビーワールドカップ2015では、グループリーグの4試合に出場。合計55得点を記録するなど活躍し、サモアチームとアメリカチームの戦いでは“マン・オブ・ザ・マッチ”に選出された。
また、大会終了後には“ベストフィフティーン”にも選出、日本人で初となる高い評価を受けた。大会後にはオーストラリアのスーパーラグビー所属のレッズに加入。現在はフランスのトゥーロンに所属し、今後のさらなる活躍が期待されている。

まとめ

ラグビーの五郎丸歩選手の生い立ちや功績を紹介した。 ラグビーワールドカップでの活躍と、流行語大賞にもノミネートされた“五郎丸ポーズ”で一躍話題となった五郎丸選手。 今後は日本代表としてだけではなく、プロラグビー選手として海外での活躍も期待されている。