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引退後に華麗な転身をしたプロレスラーたち

2017 2/9 18:26
リング,ⒸShutterstock.com
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Photo by cigdem/Shutterstock.com

見るものを興奮と熱狂の渦に巻き込むプロレス。 リング上で鍛えられた肉体のプロレスラーが戦う姿は、まさに圧巻の迫力だ。 そんなプロレスラーたちが引退後に歩んだ道のりや、転向した職業などを紹介していく。

引退後に政治家へと転向した“アントニオ猪木”

「元気ですか?!」のかけ声で有名な元プロレスラーのアントニオ猪木さん。あの力道山氏にスカウトされた経験もあるアントニオ猪木さんは、アメリカ武者修行などを経て、「新日本プロレス」などで活躍して不動の人気を得た。
1998年にプロレスを引退。その翌年には「スポーツ平和党」を結成し、参議院選挙に立候補して見事当選。政治家へと転身した。その後、湾岸戦争で邦人の人質解放に尽力するなど活躍を見せるが、スキャンダルなどで落選。しかし、2013年に再当選をして議員に復帰した。 現在は独自の判断で訪朝するなど、プロレスラー時代に培った行動力で政治家として活動している。

引退後もマルチに活躍する“高田延彦”

「男の中の男たち 出てこいやっ! 」のかけ声が印象的な高田延彦さん。幼い頃からの夢だったプロレスラーになるため1980年に新日本プロレスに入団。翌年にデビューし、アントニオ猪木選手の付き人も務めた。その後、UWFを立ち上げるなど活躍し、UWFインターナショナルでは社長に。その後、総合格闘家を経て引退した。
PRIDE統括本部長に就任するなど、引退後にもレスリングや格闘技に関わり、「高田道場」で指導を行っている。さらに、その明るい人柄でテレビに出演して大活躍。現在はバラエティ番組などをはじめ、声優や俳優なども行うマルチタレントとしても活躍している。

引退後に大臣も経験した元プロレスラー“馳浩”

1984年のロサンゼルスオリンピックでは、レスリング日本代表に選ばれた馳浩さん。恵まれた肉体を生かしてプロレスラーとなり、新日本プロレスや全日本プロレスで活躍。その後、衆議院選挙に当選して国会議員となった。
しかしこの時点で引退は表明しておらず、2005年に行われた衆議院選挙で3回目の当選と同時に引退を発表。政治家としても努力を重ね、第3次安倍内閣(第1次改造)では、プロレスラー出身の政治家で初となる「文部科学大臣」に就任。また、2020年の東京五輪・パラリンピック推進議員連盟事務局長を任命されるなど、今も政治家として活躍している。

引退後は飲食店を経営している“ザ・グレート・カブキ”

「東洋の神秘」という異名を持ちアメリカでも人気となったプロレスラーのザ・グレート・カブキさん。最初は“高千穂明久”としてデビューするが、後に忍者スタイルに身を包むザ・グレート・カブキに。ヌンチャクや毒霧などが特徴的なヒール役として活躍した後、1998年に引退した。
引退後、東京の飯田橋に居酒屋「串焼き・ちゃんこ かぶき」をオープン。後に「BIG DADDY酒場かぶき うぃず ふぁみりぃ」としてリニューアル移転を行い、現在も経営している。また、飲食店経営のかたわら、レフェリーとしても活躍している。

引退後はダイエットしてバーを経営している“ブル中野”

アメリカのWWF世界女子ヘビー級王座にもなった女子プロレスラーのブル中野さん。ダンプ松本さんと極悪同盟として一世を風靡し、絶頂期の日本の女子プロレス界を支えたレスラーだ。
1997年にケガを理由に現役を引退。その後、ダイエットに成功してプロゴルファーの道を目指す。プロゴルファーの夢こそ叶わなかったが、手に入れた美貌で自身の経験を生かしたダイエット本などを執筆して人気に。2010年には「中野のぶるちゃん」という料理屋をオープン。2011年には“ガールズ婆バー”「中野のぶるちゃん」をオープンした。現在はバーのオーナーとタレントとして活動している。

まとめ

引退後に華麗な転身をしたプロレスラーを紹介した。 政治家、飲食店のオーナー、タレントなど、さまざまな職業への転身があった。 やはりプロレスラーとしての人気や知名度を生かした仕事が多いようだ。