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プロレス界の王者、ハルク・ホーガン選手の魅力を解説

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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80年代初期には新日本プロレスでも活躍

ハルク・ホーガン選手は、新日では来日間もない頃からアントニオ猪木とのシングル戦を行うなど、当時大人気だったヒール、タイガー・ジェット・シン選手に次ぐ扱いの外国人選手として活躍しました。 全日本プロレスに移籍する前のスタン・ハンセン選手ともタッグを組んでリーグ戦の頂点を競ったり、ハンセン選手のウエスタン・ラリアットを模した必殺技「アックスボンバー」は日本でも人気を呼びました。
1983年にホーガン選手が猪木選手を破ってIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)王座に君臨した際は、人差し指を上げて「イチバァーン」と叫ぶポーズも人気を集め、「一番」はアメリカでも有名な日本語となったほどです。

米プロレス「WWF」では9万3000人の動員記録を作る

1980年代初頭のハルク・ホーガン選手は、新日への参戦とともにアメリカではAWAに参戦しており、本格的に大ブレーク。AWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション)では幹部への受けが悪く王座は獲得できなかったものの、映画「ロッキー3」に悪役レスラーとして登場し、知名度も格段に向上しました。 1984年になると再びWWFに引き抜かれ、出場したレッスルマニアでは爆発的な人気を誇り、アンドレ・ザ・ジャイアント選手との一戦には9万3000人もの観客動員を記録するなど、キャリア絶頂期を迎えます。

1990年代にはール転向、nWo(ニュー・ワールド・オーダー)で2度目のピーク

1990年代のハルク・ホーガン選手は、俳優業へ進出した一面もありましたが、ほどなくプロレス界(WCWワールド・チャンピオンシップ・レスリングと契約)に復帰。40歳を過ぎた頃は体力的な問題もあったのか、キャラクターを前面に押し出すのが難しくなってきていたものの、ヒールに転向して結成したnWoは爆発的な人気を得て2度目のピークを迎えました。 2000年代初頭にはWCWの崩壊前に離脱し、WWEへと復帰すると、相変わらずの人気ぶりを見せ、ベビーフェイスの雄であるザ・ロック選手との対決は名勝負として語り継がれています。

まとめ

ホーガン選手は2005年にWWEの殿堂入り。その後はTNAへの参戦やWWEへの復帰もありましたが、人種差別発言を機に2015年に解雇となりました。 しかし、1980~90年代にプロレスをエンターテイメント・スポーツとして爆発的な人気に押し上げた功績は誰もが認めるところであり、ホーガン選手の名は全世界のプロレスにおいて今後も語り継がれるでしょう。

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