カール・アンダーソン選手の生い立ち
カール・アンダーソン選手は、1980年生まれでアメリカ出身のプロレスラーです。5歳の時にテレビで見たプロレスに興味を持ちながらも、少年時代は野球のリトルリーグ、高校では野球部で活躍し、大学では野球で奨学金をもらうまでに。
しかし、大学2年生の頃、レスリングスクールの宣伝を見て、プロレスラーになりたい気持ちが抑えきれず大学を中退。MPW主催のレスリングキャンプに参加後、2002年にリングデビューを果たしました。デビュー当時のリングネームは「プリンス・ジャスティス」でした。
カール・アンダーソン選手のデビュー後の活動
キャリアを積むため、NWA系のローカル団体の大会に出場を重ねていたところ、新日本プロレスLA道場にスカウトされ、2006年より拠点をロサンゼルスへと移しました。その後、寝泊りをしていたロス道場が閉鎖されることにより、同僚のロッキー・ロメロ選手宅に居候させてもらった時期もあるそうです。
その頃はPWGやROHの試合に出ていました。2007年にはジョーイ・ライアン選手とのタッグでNWA世界タッグ王座を獲得。しかし、試合を転戦しながら、自身の限界を感じ、大学に通うことも考えていた中、新日本プロレスから3ヶ月契約でスカウトされて来日することになりました。
日本で活躍のカール・アンダーソン選手
2008年、大抜擢によってNEW JAPAN CUPに推薦出場しました。その後、ヒールユニットG・B・Hを経て、2009年にはCHAOSに加入し、ジャイアント・バーナード選手とBAD INTENTIONSというタッグチームを組み、G1 TAG LEAGUEで全勝優勝という大会史上初の偉業を成しました。
しかし、2010年に矢野通選手から制裁の椅子攻撃を受け、CHAOSを追放されましたが、その後BAD INTENTIONSでIWGPタッグ王座最多防衛記録を築きあげるとともに、第22代GHCタッグ王者にもなり二冠を達成しました。
2012年、BAD INTENTIONSを休止するも、2013年にはBULLET CLUBへ加入し、その後もシングル、タッグと活躍しました。また、新日本プロレスを2016年に退団し、活躍の場をWWEへ移しました。
カール・アンダーソン選手の得意技
カール・アンダーソン選手の得意技を紹介します。
マジックキラーと呼ばれる技は、G1 TAG LEAGUE王者を決めるなど、フィニッシュによく用いられます。合体技で、二人で相手の脚と首をクラッチし、ひねりを同時に加えながら倒れこみ、相手を床に叩き付けます。
また、面白いのがセントーンと呼ばれる技。跳躍の時に足をバタバタしながら落下する姿が独特で、技をかける前にエアマシンガンを相手に向け、打ち抜くポーズをした後でロープに行き、「○○(対戦相手の名前)ゴメンナサ~イ」と日本語で叫ぶのが定番です。
カール・アンダーソン選手のお人柄
現在表舞台で活躍し、親日家で、インタビューでは丁寧な印象のカール・アンダーソン選手ですが、インディー時代の生活では、金銭的にも辛く、周りに支えられていた下積み生活が長かったそうです。
もちろん実力もありますが、ターニングポイントでは目標に向かってコツコツ下積みをし、真面目な人柄などを見ていた周りの人からお声がかかったりして、今のカール・アンダーソン選手に繋がっているのがわかります。
他の選手に彼は何でもできると言われるのは、しっかりと着実に経験を積んだ結果なのでしょう。
まとめ
2016年にWWEという新しいステージに立ったカール・アンダーソン選手。
本人もワクワクした気持ちを持っているので、まだまだこれから私たちにもアツい戦いを見せてくれそうです。
今後のカール・アンダーソン選手からも目が離せません!