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プロレスラー・高橋裕二郎選手について

2017 1/18 10:02
リングⒸShutterstock.com
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Photo by cigdem/Shutterstock.com

ヒール役で、会場では観客が引くぐらいの下ネタ全開、お色気女優などを侍らせて入場する高橋裕二郎選手。 調べていくとあれこれ出てきます。 そんな高橋選手の歴史と実は…をお伝えします。

高橋裕二郎選手の生い立ち

1981年生まれ、新潟出身の高橋選手。小学校、中学校と野球少年で捕手をしていました。高校生になってからレスリングを始め、3年生の頃、インターハイに出場するも1回戦で敗退。レスリングを究めたいとの探究心から、強者ぞろいの日本体育大学に進学し、4年生で全日本学生選手権グレコローマン84kg級王座という成績を残しました。
大学卒業後、プロレスラーの道を選びました。2003年、新日本プロレスに入門。厳しい練習と寮生活に耐え、2004年の山本尚史戦で高橋裕次郎という名前でデビューを飾りました。

高橋裕二郎選手の若手時代

デビュー翌年の2005年、首固めで勝利を収めた試合でアゴを骨折し、長期欠場を余儀なくされます。2006年には復帰を果たし、ZERO1-MAXで活躍。2007年にはIWGP Jr.ヘビー級王者初挑戦や、BEST OF THE SUPER Jr.初挑戦を果たし、大会優勝者にリーグ戦で勝利するなど実力を見せつけました。
2008年には内藤哲也選手とNO LIMITという名でタッグを組み、初タイトルの第22代IWGPジュニアタッグ王座を奪取。2009年には内藤選手とメキシコ遠征で活躍しました。

高橋裕二郎選手のCHAOS時代

2010年、内藤選手とヘビー級転向を宣言し、新日本プロレスへ凱旋帰国。帰国後、第55代IWGPタッグ王者を奪取。本名の高橋裕二郎にリングネームを変更し、内藤選手と新日本プロレスのヒールユニットCHAOSに加入しました。 そしてG1 TAG LEAGUEにNO LIMITで出場して準優勝。しかし翌年、亀裂の入った内藤選手とのNO LIMITを解散し、CHAOSからも追放しました。2012年頃からR指定キャラになり、会場では下ネタ全開でブーイングの嵐が起こることも。G1に3年連続出場もしています。

高橋裕二郎選手のBULLET CLUB入り時代

2014年、CHAOS仲間のオカダ・カズチカ選手の試合中に乱入し、オカダ選手に攻撃するという裏切りで、対戦相手のBULLET CLUBに加勢。そのままCHAOSを脱退し、メンバー全員が外国人選手である新日本プロレスのヒールユニットBULLET CLUBに加入しました。
正統派を売りにしている人気選手が多いBULLET CLUBに、日本人として初の加入でした。その後、シングルで自身初の第4代NEVER無差別級王座を奪取するという快挙を遂げています。

実は高橋裕二郎選手のプライベートはこんな感じなのです

リングではヒール役をし、試合前の対戦相手への下ネタ煽りからR指定キャラでもあるチャラいイメージの高橋選手ですが、プライベートは違います。努力家の一面としては、アゴの骨折で入院していた際にジムでトレーニングするために病院から脱走し、退院後にもかかわらずビルドアップされていたというエピソードがあります。
また外国人ばかりのユニットに所属しているため、もっとコミュニケーションを取れるようにと週に数回英会話を習っているそうです。
他にも、テキーラの魅力に魅せられてテキーラ・マエストロの資格を取得するまで突き詰める性格もあります。ツアー先では外国人選手と一緒に店を探して食事へ行くなど、とても気配り上手な一面もあります。

まとめ

ヒール役でR指定キャラもあり、会場ではブーイングや結構な言われようをしている高橋選手ですが、逆にそのキャラやリング外での人柄に熱烈なファンも多いそう。また、これからの選手とも期待されている選手です。皆さんで応援していきましょう!