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プロレスラー、ロッキー・ロメロ選手について

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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Photo by " Photoraidz"/Shutterstock.com

4代目ブラックタイガーとしても活動していましたが、主にタッグを組んで活動し、14年以上も2~3週間ごとに日本とアメリカを行き来してプロレスをしているというロッキー・ロメロ選手。 そんな彼の歴史を振り返ります。

ロッキー・ロメロ選手の生い立ちとプロレスラーになって海外での活躍

ロッキー・ロメロ選手は、1982年生まれのキューバ出身のプロレスラーです。高校生時代はフリースタイルのアマチュアレスリングをしており、柔術の経験も積みました。1997年に新日本プロレスLA道場に入門し、1998年にデビューをEWFのリングで果たします。
リッキー・レジェス選手とハバナ・ビットブルズというタッグチームを組み、UPW、MPW、IWC、EWFの4団体でタッグ王座を勝ち獲りました。2004年からはROHに参戦し、そこでも世界タッグ王座を獲得しています。その間、2002年には初来日し、新日本初参戦を果たしました。

ロッキー・ロメロ選手の日本への再来日後の活躍

2005年、4代目ブラックタイガーとして再来日し、タイガーマスクに勝利。IWGPジュニアヘビー級王座とNWA世界ジュニアヘビー級王座の2冠を獲得しました。
2009年にブラックタイガーのマスクを脱いで正体を知られるまでの間、ロッキー・ロメロの名前でノアに参戦したり、ROHでもNRCに加入し、タッグを組んでROHタッグ王座を再び獲得するなどの活躍を見せていました。 2010年には主戦場を新日本プロレスに移し、ヒールユニットCHAOSに加入して活躍しました。

ロッキー・ロメロ選手、新日本プロレスに再参戦後の活躍

2011年、リチャーズ選手とタッグチームNRCを組み、IWGPジュニアタッグ王座奪取に挑戦。失敗するも、同年に再挑戦し、第29代IWGPジュニアタッグ王座奪取に成功しました。翌年、一度王座を手放すも、再度返り咲くという熱い戦いを繰り返しました。
その後はNRCの活動を休止し、アレックス・コズロフ選手とタッグを組み、第33代ジュニアタッグ王座になり、防衛戦にも成功するなど、タッグチームで活躍しています。2016年にはお互い最高と言い合えるバレッタ選手とタッグを組み、SUPER Jr. TAG TOURNAMENT2016で優勝しています。

ロッキー・ロメロ選手の得意技

彼の得意技の中で代表的な技は、フィニッシュホールドとしても使用されている暗闇脳天落。これはツームストーン・バイルドライバーの技です。ディアブロ・アームバーと呼ばれている技は、腕ひしぎ逆十字固めです。他にはタイガースープレックスや卍固めがあります。
最近の技では、バレッタ選手との合体技で、日本の酎ハイが由来のストロング・ゼロ。デュードバスターをバレッタ選手がしているところに、ロメロ選手がミサイルキックでアシストする技です。

ロッキー・ロメロ選手がリングを下りたら

新日本プロレスワールドでのショートドキュメント映像や過去のインタビューなどから、真面目でファンサービス旺盛、ユニークな素顔が垣間見えます。13、4歳の頃、プロレスラーになることを決意し、最終目標は日本に来ることと、ただただ自分を信じて夢に向かった先の結果として今があるそうです。
CHAOSメンバーとはよく飲みに行く仲の良さで、他の選手との仲良しエピソードも。オカダ選手はロメロ選手の身長(170cm)を毎日いじるらしく、ワザとレインメーカーを空振りさせ、自然防御だね!と、ロッキーロメロ選手にこの技は効かないと楽しんでいるそうです。

まとめ

試合会場ではヒール役を徹底していますが、時に奇抜な行動でユニークな素顔がかわいらしいロッキー・ロメロ選手。 芯の強さは、戦いにも表れています。 今後のロッキー・ロメロ選手の試合にも、ぜひ注目してください。