「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロレスラー矢野通選手のあれこれを解説いたします!

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by 977_ReX_977/Shutterstock.com

アマレスのエリートと言われるほどの経歴を持つプロレスラー・矢野通選手。 ヒール役で知られているプロレスラーですが、ファンを大事にし、近い距離で楽しい時間をと飲食店も経営するという実業家の一面も。 そんな矢野選手の魅力に迫ります。

矢野通選手の生い立ちからプロレスラーになるまで

1978年生まれで東京都出身の矢野通選手。レスリング経験者の父の指導で7歳からアマレスを始めました。 中学高校時代は大活躍で、全国高校選抜レスリング選手権や全国高校総合体育大会など、数々の全国大会で優勝しました。大学時代もさらに飛躍し、数々の大会を制しました。その中でも、世界学生選手権の日本予選97kg級で優勝、全日本学生選手権ではフリースタイル部門とグレコローマン部門を制覇するという偉業を遂げています。
そんなレスリング界のエリートは、新日本プロレスのアマレス部門である闘魂クラブに入団し、翌年新日本に入門。プロレスラーの道を歩みます。

プロレスラーになってから2005年海外への武者修行

2002年、ブルー・ウルフ選手を相手にデビューを果たしました。2003年には総合格闘技のバンクラス両国大会に挑戦し、残念ながら敗退しましたが、戦いの幅の広さで内外から高く評価されました。
2004年には金髪、田吾作タイツ、半被、下駄姿の酒飲みキャラでヒールレスラーに。反則負けをとられることも何度かありました。2005年には武者修行として蝶野正洋選手のバックアップでドイツへ旅立ちました。その間、初代EPWタッグ王座をケンドー・カシン選手と獲得しました。

矢野通選手の帰国後の活躍と真壁選手とのタッグ

帰国後、染めた黒髪に黒タイツ姿で現れ、周囲を驚かせました。徹底したヒール役で、2007年にはWEWヘビー級王座に輝き、真壁刀義選手とのタッグではプロレス大賞の最優秀タッグ賞も受賞しました。翌年にはその真壁選手とのタッグでIWGPタッグ王座に輝き、その後4度の防衛を果たしました。
しかし2009年、タッグを組んでいた真壁選手を裏切り、椅子攻撃をして参加していたユニットを離脱。その後は真壁選手とたびたび対戦するようになりました。

矢野通選手の得意技

得意技の名前はほとんどがお酒の銘柄やそれにちなんだ名前で、代表的なものに、鬼殺し、裏霞、強力、鏡割などがあります。
鬼殺しはフォールダウン・ボムの変形で、名前の由来は日本酒の「鬼ころし」から。裏霧は首固めで、フィニッシュに使われることが多く、宮城県の日本酒「浦霧」から。強力は相手を担ぎ上げ、体を旋回しながら叩き付ける技で、名前の由来は鳥取県原産の酒米「強力」から。鏡割は変形のサイドバスターで、年中行事「鏡開き」からきています。

まとめ

数々のヒールに徹している矢野通選手ですが、実力も備えていて、リングの外ではファンに気さくで優しく、礼儀正しいお人柄だそうです。 選ばれし者が出場できるG1クライマックスに10回以上出場しているにもかかわらず、残念ながらまだ優勝経験がないため、みんなで応援していきましょう!