「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロレス界の名タッグで有名なテンコジを解説します。

2017 1/18 10:02
リングⒸShutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by cigdem/Shutterstock.com

プロレス大賞で最優秀タッグチーム賞も獲得したほどの実力がある黄金コンビ、テンコジこと天山広吉選手と小島聡選手。 彼らの生い立ちから活躍まで、テンコジの歴史をお伝えします。

プロレスラー・天山広吉選手について

1971年生まれで京都出身の天山広吉選手。新日本プロレス学校から1990年5月に新日本プロレスに入門しました。翌年の1月には山本広吉という本名でデビュー。1993年のヤングライオン杯では見事優勝を飾りました。 その後、武者修行のため海外へ。肉体改造もして、1995年の帰国でリングネームを天山広吉と改名しました。23歳9ヶ月という若さでIWGPヘビー級王座に挑戦して敗退するも、当時は最年少挑戦記録として周りからは将来性を期待されていました。
その後も数々のタイトルを獲得し、強さを見せつけました。IWGPヘビー級王座4回、G1 CLIMAX優勝3回など、個人でも華々しい業績を残しています。

プロレスラー・小島聡選手について

1970年生まれで東京出身の小島聡選手。プロレス界では格闘技のタイトル保持者が少なくない中、小島選手の学生時代は柔道経験があったほどでした。卒業後は企業に就職しましたが、その後アニマル浜口ジムでトレーニング経験を積み、1991年に新日本プロレスに入門しました。
メキメキと頭角を現し、1994年のヤングライオン杯では全勝で優勝し、その後海外遠征にも参加。1996年の帰国後は中西学選手とタッグを組み、IWGPタッグ王座も獲得しました。怪我に悩ませられる時期もありましたが、その後もIWGPヘビー級王座2回、G1CLIMAX優勝1回、全日本プロレス三冠ヘビー級王座2回など、個人でも数々のタイトルを獲得しています。

テンコジ結成まで

2人の入門はほぼ同期ですが、小島選手のデビュー戦の相手は天山選手(当時山本選手)でした。ヤングライオン時代に前座試合でタッグを組み、話題になったこともある2人でしたが、武者修行後の2人は、所属によって軋轢を生じる時期があリました。しかし、リングでの戦いによってお互いが理解しあい、タッグを組むまでに。
タッグを組んだ翌年の1991年、IWGPタッグ王座に挑戦。見事王座を奪取しました。2000年にはプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞を獲得するも、2002年に小島選手が全日本プロレスに移籍したため解散となりました。

テンコジの再結成、再々結成では

2005年、2006年と小島選手と天山選手は激闘を繰り返しましたが、お互い歩み寄り、2006年の世界最強タッグ決定リーグ戦にてテンコジで参戦し、見事王座を獲得しました。その後活動はしていませんでしたが、2008年に小島選手のテンコジ活動へのマイクアピールによって、再結成に至りました。
その後は数々のタイトルを獲得していくも、天山選手の休養などの理由から、2009年にテンコジの活動休止が宣言されました。しかし2011年、待望の再々結成!久々の試合でも2人のタッグワークはブランクを感じさせず、勝利を収めました。

プロレス界イチ泣かせるタッグチーム、テンコジの名シーンと名言

最初の解散前の最後の試合では、天山選手が花道を去る小島選手に向かって「小島、出て行け、タコ!全日本でもどこだろうと!頑張れよお前!わかってんのか!コジ!わかったか!」と天山流のエール。これに対し、小島選手が深々と一礼をした場面は、ファンの中で目頭が熱くなる名シーンと言われています。
また、テンコジの名言では、対戦相手の「1+1で2だ」との挑発に対して小島選手が「1+1は2じゃないぞ!俺たちは1+1で200だ!!10倍だぞ10倍!!」との発言。単なる計算間違いだったようですが、プロレスファンをにぎわせるセリフでした。
15年ほどたった2016年でも、テンコジ公認でサンボマスターがもじって「1+1+1は3じゃないぞ!1+1+1で300だ!!10倍だぞ10倍!ツアー2016」とツアータイトルに使用されるまでに。伝説の名言です。小島選手いわく「迷言」とも。

まとめ

ここだけでは伝えられないテンコジの魅力。 テンコジで活動していない時は、天山選手と小島選手が対戦相手になり、血みどろのプロレスをしていたことも多々ありましたが、戦いの数だけ深くなっているような2人の絆。 これからの活躍も楽しみです。