「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

プロレスラー永田裕志選手の歴史を解説します!

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by " Photoraidz"/Shutterstock.com

ブルージャスティス、青義の使徒、熱血プロレス教師、白目の鬼神と、さまざまなニックネームを持つプロレスラー・永田裕志選手。 20年以上もプロレス界で活躍し、数々のタイトルを獲得している凄腕プロレスラーの魅力をお伝えします。

プロレスラー永田裕志選手の生い立ち

永田裕志選手は、1968年生まれの千葉県出身で日本体育大学を卒業しています。
大学ではレスリング部に所属し、1988年には全日本学生選手権で優勝、1989年には全日本大学グレコローマン選手権でも優勝という経歴の持ち主です。
ちなみに、弟はレスリングで銀メダリストの経歴があり、兄弟そろって強い選手でした。父親は教師で、プロレスラー一筋の永田裕志選手も実は教員免許を持っています。
大学時代の実力を買われ、1992年3月に新日本プロレスに入門し、その年の9月14日に山本広吉(現・天山広吉)戦でデビューしました。

永田裕志選手の得意技

永田裕志選手のフィニッシュホールド(決着をつけるための技)は「バックドロップ・ホールド」と「エクスプロイダー・オブ・ジャスティス」です。
バックドロップ・ホールドは若手時代から使っている代表的な技です。また、エクスプロイダー・オブ・ジャスティスは、2013年G1クライマックスから使っていて、EOJとも略されて親しまれています。
関節技の「ナガタ・ロックⅠ、II、III、IV」や、投げ技の「サンダー・デス・ドライバー」も得意技として有名です。

永田裕志選手の人気理由

各タイトルを獲得する実力派の選手で、試合展開はシリアスでありながら、白目を剥きながら相手に技をかけたりと、パフォーマンスではコミカルな場面を見せ、

「現在、新日本プロレスで最も盛り上がるのが、永田が白目になった瞬間である(金澤克彦)」

出典: wikipedia

と言われるほど人気に。
また、2000年頃から使われている敬礼ポーズも永田裕志選手の代名詞となっており、その際「ゼァッ!」との掛け声も有名になりました。彼のTwitterでも「ゼァ」がたびたび見られ、他にも顔芸写真が話題です。

永田裕志選手の実績

1996年、ヤングライオン杯で惜しくも準優勝。その後、アトランタへ武者修行に行き、帰国後1999年のG1クライマックスでは当時トップ選手と言われていた藤波辰爾選手や佐々木健介選手などを破って大活躍。2001年G1クライマックスで、武藤敬司選手や蝶野正洋選手などの強者を制して初優勝しました。
その後もNEW JAPAN CUP、NEVER無差別級王座、チャンピオン・カーニバル、NOAHグローバル・リーグ戦や世界タッグ王座など、数々のタイトルを獲得し、メジャー3団体のシングルリーグをすべて制覇しました。
また、IWGPヘビー級では、2002年4月に王座に就き、その後10度の防衛(当時の最多防衛記録)に成功という偉業も成し遂げています。

永田裕志選手の有名な試合と名言

長い永田裕志選手の歴史の中には数々の試合や名言があります。
「いいんだね、殺っちゃって」はファンの中で流行語(?)になったと言われているほどの名言です。この名言は、佐々木健介選手が過去に退団した新日本に向けて宣戦布告をした際に、永田選手から佐々木選手へ発せられました。
その言葉通り、試合では過去の試合でもトップに入るほどの流血試合。モニターで観ていたアントニオ猪木氏が

「もうやめさせろ!死人を出す気か!?」

出典: GK金沢克彦オフィシャルブログ

と思わず叫んだほどでした。

まとめ

20年以上の長いプロレスラーの歴史の中では、一時ヒール転向もしましたが、Twitterやブログからは真面目さとひょうきんさが伝わり、永田裕志選手の人の良さが垣間見えます。 この歳になっても第一線で戦っている永田選手から目が離せません。