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人気プロレスラー、真壁刀義選手について

2016 12/21 10:03
リングⒸShutterstock.com
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Photo by cigdem/Shutterstock.com

プロレスに入団してからも長いあいだ苦労人だった真壁刀義選手。 そんな真壁選手が人気レスラーになるまでを徹底解説する。

真壁刀義選手の生い立ちからプロレスラーになるまで

真壁刀義選手は、1972年生まれで神奈川県出身のプロレスラーだ。中学生の頃から柔道をしており、帝京大学時代に二段に。学生プロレスでも活躍しており、リングネームはプリン真壁だった。
大学卒業後の1996年に新日本プロレスの入門試験を受けて合格。約1年のトレーニングをした後、1997年に真壁伸也(本名)でデビュー。同期や後輩がどんどん有名になっていくなか、真壁選手は結果を残すことができず、長州力選手の付き人を長いあいだ務め、厳しい練習にも耐えていた。

真壁刀義選手の長かった下積み生活

2000年、若手の登竜門と言われるヤングライオン杯で準優勝。2001年に武者修行で海外へ。英連邦インターコンチネンタル王座(イギリス)を獲得後、プエルトリコで修行。2002年に帰国するも、しばらく結果を残すことはできなかった。
2004年にはG1 CLIMAXに初挑戦。この機にリングネームを真壁刀義に変更した。2005年は怪我で試合を長期欠場し、2006年に復帰。鎖を巻いて入場するスタイルがトレードマークに。結果を残せず馬鹿にされたことや、会場ではブーイングも多々あったが、それをプラスにしたのが真壁選手だった。

真壁刀義選手の活躍

2006年にはIWGP暫定タッグ王者に就き、自身ではWEWヘビー級王座を奪取。そこから長期間、王座に就いた。そこでは悪の王者とも呼ばれ、多くのブーイングも。その後、ヒールユニット「G・B・H」のメンバーになり、チャレンジャー精神を常に持ち、嫌われるなら徹底的に嫌われ役に徹してヒール役を前面に出すようになり、徐々に人気が出てきた。
2007年にはNEW JAPAN CUPで準優勝、IWGPヘビー級王者に初挑戦、G1 CLIMAXでは決勝トーナメントに進出。2008年には矢野通選手とタッグを組み、IWGPタッグ王座に輝いた。 そしてその年、天山広吉選手を追放してG・B・Hの2代目リーダーに。その後もG・B・Hで活躍し、今では人気選手のトップ5に選ばれることがあるほどの人気がある。

真壁刀義選手の得意技

戦いのスタイルがラフ&パワーの真壁選手。代表的な得意技の1つとして、フィニッシュ―ホールドのキングコングニードドロップがある。ニードロップだが、トップロードから出す技で、かわされて不発で終わることもるが、ヒットしたら技を返されたことが未だにない強力な技だ。
打撃技ではラリアット、投げ技では連続グーパンチの後にかけるノーザンライトスープレックスやスパイダージャーマン、他の技ではチェーン攻撃が有名である。

真壁刀義選手のお人柄

ヒールユニットを率いてヒール役に徹底している真壁選手だが、リングを下りると、ファンの中では優しくていい人イメージが強いと言われてしまうほど、いい人の話しか出てこない。
真壁選手のインタビューの記事では、記者が恐縮するほど気遣う場面も記載される。ファンとの交流もとても大事にしており、対応も素晴らしく、常に周囲へ常に気遣いをしている姿が見られる。また、母親とのやりとりからも真壁選手のお人柄が垣間見え、いい人ぶりが伝わる。
また、スイーツ真壁と呼ばれるほどスイーツ好きで、食レポもしている。ヒール役なのに…とのギャップも、ファンにはたまらないのだろう。

まとめ

マイナスのことでもプラスにもっていける前向きな真壁選手だからこそ、決して楽ではなく長かった下積み生活も、すべて肥やしにすることができ、現在の強さや人気につながったことがうかがえる。 これからの真壁選手にも注目だ。