「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

実力派プロレスラー、棚橋弘至選手について

2016 12/16 11:07
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by 977_ReX_977/Shutterstock.com

怪我で欠場していた時期も多かったものの、第一線で長い間戦い続けている棚橋弘至選手。 タイトル獲得数などの実績も尋常ではありません! この記事では、そんな棚橋選手の魅力をお伝えいたします。

棚橋弘至選手の生い立ちからプロレスラーへの思い

棚橋弘至選手は、1976年生まれで岐阜県出身のプロレスラーだ。高校時代は野球に力を入れ、そこで基礎的な体力と筋肉をつけたそう。弟の影響を受けプロレスに興味を持ち、大学では学生プロレスサークルに在籍しながら、レスリング部にも助っ人で参加し、インカレにも出場した経験がある。
大学生時代には、両国で7連戦あるG1 CLIMAXをすべて現地で観戦したり、WWEの試合映像を毎週録画して送ってくるアメリカ在住の先輩がいたので、その映像を見たりもしていた。

棚橋弘至選手がプロレスラーになるまで

日々募るプロレスラーになりたいという夢を叶えようと、大学生時代に新日本プロレスの入門テストを受け、大学3年生の終わりに3回目で念願の合格。学校は中退して入門することを決心していたほど、早くプロレスラーになることを望んでいたが、長州力選手のすすめで、大学を卒業してから入門することに。
そして1999年4月、大学を卒業して待ち望んでいた新日本プロレスに入門した。しばらく武藤敬司選手の付き人をして、10月にはデビューを果たす。

棚橋弘至選手が獲った新日本プロレスのタイトル

IWGPヘビー級王座を7度も獲得し、計28回もの防衛に成功。通算最多防衛記録と連続防衛記録、最多載冠記録保持者という偉業を遂げている。ほかにも、IWGPインターコンチネンタル王座やIWGP U-30無差別級王座では2度の王座と計13回もの防衛、G1 CLIMAXでも2度の優勝と3度の準優勝、NEW JAPAN CUPでも2度の優勝、タッグ戦でも、IWGPタッグ王座を2度獲得し、防衛も計7回、NEVER無差別級6人タッグでも王座獲得。 このように、あらゆる王座に君臨し、すばらしい成績を残している。

棚橋弘至選手が獲ったその他でのタイトル

もちろん、新日本以外のタイトルも獲っている。全日本プロレスでは2008年にチャンピオンカーニバルで準優勝し、プロレスリング・ノアではGHCタッグ王座で防衛を1回。メキシコにあるプロレス団体CMLLが管理するCMLL世界タッグ王座やCMLL世界トリオ王座、カンペオン・ウニベルサルでも優勝を果たしている。
また、プロレス大賞でも敢闘賞を2回、殊勲賞を1回、最優秀選手賞を3回、年間最高試合賞を1回獲得しており、現在では誰もが認めるエースとなっている。

棚橋弘至選手のお人柄

ニックネームは自分から発信し、「100年に1人の逸材」「エース」が定番に。また、「○○(地名)の皆さん、愛してま~す!」と勝利後に大会を締める決め台詞でも有名だ。
サインを求められたら必ず応じるという話や、観客のリクエストによく応えることでも定評があり、エアギターのパフォーマンスをしたり、ファンサービスが旺盛な方で、おちゃめな一面もあることでも知られている。 その反面、努力家で今までの経験はすべて意味のあることと捉え、前向きな性格で、新日本プロレスの盛り上がりに貢献している選手だ。

まとめ

知れば知るほど、棚橋弘至選手の魅力はまだまだ表せきれないほどある。 これからも止まることを知らない棚橋選手は、幾つもの伝説を作っていくだろう。そしてきっとファンイベントにも登場し、ファンたちを沸かせてくれるはずだ。 今後の活躍から目が離せない。ぜひ一緒に応援していこう!