公営競技は公益性があり、違法賭博を抑制
日本では、幕末から明治時代には競馬が行われていたとされる。やがて戦後復興のために、公営競技として盛んに行われるようになった。そして国や地方自治体の財源となり、経済振興という位置づけが定着した。しかし、近年では経営が赤字になり、行政の重荷になっているケースも散見される。
経営を改善するには、民間セクターとの積極的な協業も選択肢ではあるが、あまり大々的にギャンブルをプロモーションするのも、いかがなものかという意見が出て来る可能性もあり、さじ加減が難しい。
現在、公営競技の収益性が下がっているとしても、違法賭博を抑止する効果があるのは確かだろう。ギャンブルを全面禁止にしても、その行為は地下に潜るだけで、根本的な解決にはならないと思われる。違法賭博の収益は地下経済に消えるが、公営競技の収益は公共目的のために役立てられる。
違法賭博といえば、2010年に大相撲の力士や関係者が野球賭博を行ったことが明るみに出たことが記憶に新しい。この問題を捜査する中で、警察が力士の携帯にあったメッセージから、賭博とは別に八百長も行われていたことを突き止め、多くの処分者が出た。
また、2015年には、プロ野球選手による野球賭博が明らかになり、選手の契約解除や関係者の辞任等の事態を招いた。
サッカーくじ「toto」は公営ギャンブルの優等生
日本のサッカーがプロ化し、Jリーグが創設されると、世界のサッカー先進地域で盛んに行われるサッカーくじをモデルにしたスポーツ振興くじ(toto)の創設の動きが起きた。
青少年への影響や八百長の助長を懸念する反対意見もあり、様々な議論を経て法案が成立し、2000年に発売が始まった。日本スポーツ振興センターという独立行政法人により運営が行われており、現在までに大きな不正や八百長行為は確認されていない。
海外のサッカーリーグでは、八百長疑惑がことあるごとに取りざたされるが、日本のサッカー選手は、今のところスポーツ倫理をしっかりと理解しているようだ。周知を徹底するために、研修も行われている。
プロ化やtoto導入が比較的最近で、伝統や社会のしがらみにとらわれにくいことも、健全に制度を発展させることが出来た理由かもしれない。
カジノ整備は、ギャンブル依存症対策が重要
日本生産性本部がまとめた「レジャー白書」などの資料によると、日本のギャンブル等の年間売り上げは次の通りだ。
日本のギャンブル等の年間売り上げ
パチンコ・スロット:約20兆円
公営競技(競馬、競艇、競輪など):約6兆円
宝くじ:7,870億円
スポーツくじ(toto):約1,000億円
合計:約26兆8,870億円
パチンコ・スロットに比べれば少なく感じるかもしれないが、公営ギャンブルとスポーツくじ(toto)を合わせると約6兆1,000億円と非常に大きいことが分かる。近年は、インターネットで購入できるようになり、便利になってきている。スポーツくじ(toto)は、海外スポーツも取り扱うようになっている。
日本の公営競技はスター選手もおり競技としてのファンも多いが、やはりギャンブルのためにスポーツをしているというイメージが強いのではないだろうか。
ギャンブルのためにスポーツがあるという現状から、観戦する競技として根付かせ、ギャンブルはその一要素という方が、スポーツ文化として豊かではないだろうか。すでに公営競技の会場では、若者や女性が気軽に観戦できるように力を入れ始めている。ギャンブラーが入り浸り、一般人はあまり近づきたくないという公営ギャンブルの印象が変われば、より多くの人がスポーツとして楽しむこともできるようになる。
ちなみに英国の競馬も、もちろん賭けの対象ではあるが、スーツやドレスを着て競技を観戦する富裕層の社交の場として機能している。ギャンブル以外の楽しみ方を持たせることも重要だ。
一方で、ただ普及するのではなく、ギャンブル依存症についても考えなければならない。
厚生労働省によるとギャンブル依存症の疑いのある人は、日本に約320万人いるという。全国民の3.6%に相当し、世界的にみても群を抜いているという。
大多数はパチンコ・スロットだと考えられるが、公営競技にもギャンブル依存症の可能性がある人が集まってきていると考えるべきだろう。
競馬、モーターボート、競輪などの主催者らで結成される全国公営競技施行者連絡協議会が、依存症対策に取り組んでおり、「公営競技ギャンブル依存症カウンセリングセンター」などを設置し利用者の支援を行っているが、基本的には個人の自制心に頼っているのが現状だ。
依存症対策の過程で収益が低下する恐れがあるが、若者や女性ファンを増やそうとするならば、投票券(馬券・車券・舟券)購入時の個人情報登録の義務化や投票券購入金への上限設定など、直接的な対策を検討すべきだ。
勇気をもってギャンブル依存症対策の最前線として立ち上がって欲しい。
公営ギャンブルは、儲けを優先せずに、あくまで人々のためのものとして機能すべきではないだろうか。