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イチローから影響を受けた地方都市の30代

2019 4/6 11:00藤本 倫史
イチロー会見,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

内向きで安定志向、現実主義なプレッシャー世代

ついに、イチローが引退した。

私は1984年生まれの34歳である。この世代は氷河期世代とゆとり世代の間でプレッシャー世代とも言われる。どの世代もイチローに影響を受けているだろうが、2001年のメジャーデビュー時に中学生から大学生くらいだった30代は、特に何かしらの力やメッセージを受け取っているのではないだろうか。

私たちの世代は、バブル崩壊後の親世代の苦労や、失われた10年というネガティブなイメージをメディアに植えつけられ、内向きで安定志向な人間が多いように感じる。

夢ではなく、現実をみる。そんな風潮がある中で、スポーツの世界は違った。1995年に野茂英雄が海を渡り、サッカーでは三浦知良が欧州への道を切り拓いて、中田英寿がセリエAで活躍した。

そんな中で、若い野球ファンに「圧倒的な結果と個性」で衝撃を与えてくれたのがイチローだ。細い体の日本人が次々とヒットを打ち、華麗な守備と走塁でメジャーリーグの野球観を変えていく。この活躍に心を躍らせた若者、特に地方都市の若者は多かったのではないか。

長引く不況の中、今と比べてインターネットも未発達で、3大都市圏に比べて情報やチャンスも少なく、地方の学生は将来のビジョンが描きづらかった。まして海外で何か成し遂げるなど想像することもできなかった。高度経済成長期やバブル世代ならば、将来を信じて前へ前へと進み、今の世代であればインターネットを介して、情報収集する場所も海外へつながるチャンスもいくらでもある。

しかし、私たちの世代は前後の世代に比べ閉塞感を覚えながら、ただ悶々した日々を過ごしていた。

海外へ飛び出すきっかけを与えてくれた

イチローの活躍は刺激になり、私たちの世代へ多大なる影響を与えていく。そして、松井秀喜なども続き、日本人選手の活躍は当たり前になっていく。

その頃の私はというと、地方の大学へ進学し、平凡な学生生活を送っていた。ただ一方で、イチローの姿を目にし、自分も外に目を向けなければならないとひしひしと感じていた。大学2年時には球界再編問題が起こり、地元の広島カープも危機に瀕していた。

そんな日本プロ野球の激動の中で、私はスポーツマネジメントを学び始めた。なぜ、アメリカはあれだけ売り上げを伸ばすことができるのか、メジャーリーグはなぜ、あれだけ盛り上がっているのか。自分の目で見てみたいと思った。

そして、研究を兼ねて、大学4年時にロサンゼルスへ向かった。たった数週間であったが、本に書いてあることと、実際に自分が肌で感じたことは全く違っていた。

こんな若者はこの時期多かったのではないか。グローバル社会と言われている中で、私たちは学校で語学や国際人としての重要性を習った。確かに頭ではわかっているが、自分が海外で仕事をするなど想像もつかなかったし、海外にも行きたいと思わなかった。

しかし、イチローが必死に戦っている姿を見て、興味関心を持ち、海外へ行ってみたい、挑戦したいと思った私のような若者は少なくないはずだ。海外へ挑戦する入り口になったのはイチローだったと言っても過言ではないだろう。

イチローへの恩返し

イチローが引退記者会見で「外国人としての経験はこれからの人生でとても重要になってくる」と語っていたが、これに感銘を受けた人も多いのではないか。

私は初めてアメリカへ行った時から約10年後の2017年に大学教員としてロサンゼルスを訪れていた。ありがたいことに一学生ではなく仕事としてアメリカへ行くことができたのだ。 その時にたまたま見ていたスポーツチャンネルで、イチローの試合が流れていた。その試合は何の運命かわからないが、3000本安打を達成するかもしれない試合だった。「打ってくれ」と思った瞬間に彼は期待通りに打ってくれた。

頭髪は白くなっていたが、いとも簡単に打ち、クールな表情でプレーを続ける姿を誇らしく思ったのを今でも覚えている。ただ、それが今回の記者会見で簡単ではないことがよくわかった。私たちには想像を絶するような努力と葛藤があり、苦しんでいたのだろう。

現在、働き盛りの30代はこれから日本社会を背負っていく人材として、自分も含めて頑張っていかなければならない。多感な時期にイチローからパワーをもらった世代としては、これからひと踏ん張りもふた踏ん張りもしなければいけないと感じている。また、それが日本のよりよい社会形成の一助になり、イチローへの恩返しにもなるだろうと考えている。