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パラリンピックはいつから始まった?大会の歴史紹介

2017 7/10 10:01芝田カズヤ
パラリンピック2016
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Photo by A.RICARDO/Shutterstock.com

4年に1度行われるパラリンピック。今ではオリンピック終了後に同じ会場で行われていますが、かつてはそうではありませんでした。今回はそんなパラリンピックの歴史を紹介したいと思います。

パラリンピックとは?

パラリンピックはオリンピックと同じ年に同じ都市で開催されます。そのため夏季、冬季の2種類の大会があります。
パラリンピックの意味は、もともとは「Paraplegic Olympic(対麻痺者のオリンピック)」という意味でしたが、のちに「Parallel+Olympics(類似した、同様の+オリンピック)」として、もう1つのオリンピックという意味へと変わっていきました。
パラリンピックを統括するのはIPC(国際パラリンピック委員会)で、オリンピックを統括するIOC(国際オリンピック委員会)とは別の組織です。日本でも同様にパラリンピックが日本パラリンピック委員会、オリンピックが日本オリンピック委員会と別になっています。

障がい者スポーツの国際大会のはじまり

障がい者スポーツの国際大会は、後述するパラリンピックの始まりよりも前から行われていました。障がい者がスポーツをしていたという記録は、紀元前からあったそうです。しかし、障がい者のスポーツ団体が生まれ、スポーツ大会が行われるようになったのは、19世紀から20世紀にかけてのことでした。
初めての国際的な障がい者のスポーツ大会は、1924年に国際ろう者スポーツ連盟が行った第1回国際ろう者スポーツ競技大会(現在のデフリンピック)でした。
パラリンピックが行われるのはここからもう少し後のこととなります。

パラリンピックの前身大会は病院内で行われた

パラリンピックの前身となる大会が始まったのは1948年のことです。当時は第二次世界大戦の影響で多くの負傷者がおり、中には脊髄損傷によって車椅子を利用する患者もいました。
そういった脊髄損傷者のためにロンドンにあるストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科が開かれ、1948年にここで患者のリハビリのための競技会として車椅子患者によるアーチェーリー大会が行われました。これがパラリンピックの原点となった大会です。ちなみにこのアーチェリー大会には男女合わせて16名の選手が参加したそうです。
その後も、この大会は毎年行われていましたが、1950年にオランダの選手が参加したことで国をまたいでの競技会となり、名称が「国際ストーク・マンデビル大会」となり少しずつ大きくなっていきました。

第1回大会開催は1960年

少しずつ参加国が増えていったストーク・マンデビル大会は、運営組織が整っていき、1960年にヨーロッパ5カ国によって「国際ストーク・マンデビル大会委員会」という組織ができます。
この組織によって、オリンピックが開催される年についてはストーク・マンデビル大会をオリンピックの開催国で行うという意向が発表され、同年にオリンピックが開催されたイタリアはローマで、国際ストーク・マンデビル大会が開催されました。
このローマ大会が第1回目のパラリンピックと位置付けられています。 ちなみに冬季パラリンピックは夏季から遅れること16年後の1976年に開催されたスウェーデンのエンシェルツヴィーク大会が第1回目となっています。

「パラリンピック」が始まったのは1988年

先述の通りパラリンピックの前身といえる大会は1960年から行われていましたが、当時は「国際ストーク・マンデビル大会」や「Olympiad for the Physically Disabled」、「Olympics for the Disabled」など大会によって名称が異なっていました。
そんな中、1985年に現在のパラリンピックの名称を使用することが決まり、1988年のソウル大会で初めて使用されました。また、名称だけでなく、オリンピックで使われた試合会場がパラリンピックでも使用されるなど、オリンピックとの連動も行われました。
この頃には、先ほども説明した通り、パラリンピックの解釈の仕方が変わって“もう1つのオリンピック”となり、現在のパラリンピックの形へとなっていったのです。

まとめ

ここまでパラリンピックのはじまりとその歴史について紹介してきました。もともとは患者のリハビリとして病院内で始まり、前身の大会を含めると意外に歴史が長いということを知らなかったという方も多いのではないでしょうか? ぜひ、パラリンピックにも注目してみてください。