歴史ある朝日スポーツ賞
朝日スポーツ賞の概要について紹介する。朝日スポーツ賞は朝日新聞社が制定したスポーツ賞で、その年に活躍した個人やチームに与えられる。
各スポーツ賞の中でもその歴史は非常に長く、前身の賞である朝日賞体育部門は1929年から始まっており、約90年の歴史がある。
戦時中を含め何度か開催されなかった年もあるが、朝日賞体育部門、朝日体育賞と名前を変えながら今もなお日本のアスリートを表彰し続けている権威ある賞だ。
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毎年年末になると、その年に活躍したアスリートを表彰が各新聞社や団体などが主催となって行われる。それら各賞の中でも長い歴史を有するのが朝日スポーツ賞だ。今回は朝日スポーツ賞の歴代受賞者を紹介したいと思う。
朝日スポーツ賞の概要について紹介する。朝日スポーツ賞は朝日新聞社が制定したスポーツ賞で、その年に活躍した個人やチームに与えられる。
各スポーツ賞の中でもその歴史は非常に長く、前身の賞である朝日賞体育部門は1929年から始まっており、約90年の歴史がある。
戦時中を含め何度か開催されなかった年もあるが、朝日賞体育部門、朝日体育賞と名前を変えながら今もなお日本のアスリートを表彰し続けている権威ある賞だ。
1964年の受賞者は女子バレボール日本代表、通称“東洋の魔女”だ。1964年の東洋の魔女ということでご存知の方も多いだろうが、東京オリンピックで金メダルを獲得したチームだ。選手だけでなく監督を務めた大松博文氏も受賞した。
当時の日本は回転レシーブを武器に世界選手権でも優勝するなど、女子バレー界の中でも強豪国だった。東京オリンピックでは落としたセットが5試合でわずか1セットという他国を圧倒する力で金メダルを獲得。当時の視聴率は66.8%で、スポーツ中継としては現在に至るまで最高視聴率を保持し続けている。
登山家の植村直己氏も朝日スポーツ賞の受賞者だ。世界で初めて五大陸の最高峰(マッキンリー、アコンカグア、エベレスト、キリマンジャロ、モンブラン)に登頂した人物で、1984年には国民栄誉賞を受賞している。
朝日スポーツ賞の受賞は1976年で、受賞理由は最高峰への登頂ではなく、北極圏12,000kmの一人旅(犬ぞりを利用しての探検)に成功したことによるものだった。
犬と一緒に写る植村氏の写真を見たことのある人もいるのではないだろうか?長い歴史を有する賞だけあって、歴史に残るような人物も多く受賞しているのが朝日スポーツ賞だ。
陸上界から1931年に受賞した織田幹雄氏は、日本の陸上界の歴史に名を残す偉大な人物だ。
織田氏は日本人初のオリンピック金メダリストで、1928年のアムステルダムオリンピックの三段跳びで金メダルを獲得している。
選手としての活躍の他、日本オリンピック委員会の一員として日本選手の強化にも取り組んだ。
1998年に亡くなっているが、織田氏の名前は、織田幹雄記念国際陸上競技大会、全日本マスターズ大会で送られる織田幹雄賞など、今もなお陸上界で生き続けている。
2002年に行われたサッカーFIFAワールドカップに出場した日本代表と、大会の成功に貢献した日本サッカー協会(JFA)も受賞者だ。
韓国との共同開催という初めての形でのワールドカップを運営したJFAと、日本史上初の決勝トーナメント進出は、みなさんの記憶にも残っているのではないだろうか?
当時の日本は1998年のワールドカップに1度出場したことがあるだけという状況だったが、ホームのサポーターの力を背に躍進を遂げ、日本中を興奮の渦に巻き込んだ。同時に、世界でも最大のスポーツイベントとされるワールドカップを招致し成功に導いたJFAも、日本のスポーツ界の歴史に残る偉業を成し遂げたと言える。
朝日スポーツ賞の歴代受賞者を紹介してきた。長い歴史を有するだけあって、数々の名選手が受賞してきた賞だ。戦前から戦後、そして現代のスポーツ界を反映する賞だと言える。ぜひこれから先の受賞者にも注目してみてください。