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フェンシング銀メダリスト太田雄貴選手の功績

2016 10/3 15:52
オリンピック
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Photo by Lilyana Vynogradova / Shutterstock.com

リオオリンピックが終了し、引退意向を表明した太田雄貴(おおたゆうき)選手。
2012年ロンドンオリンピックでは銀、2015年の世界選手権では日本史上初となる優勝を飾りました。
本記事では日本におけるフェンシングの地位を高めた殊勲者である太田選手の軌跡をたどっていきたいと思います。

この10年間のフェンシングの知名度向上!

フェンシングは、太田雄貴選手の活躍によって知名度が格段に向上しました。今までは、フェンシングがどんなスポーツであるかということは知っているものの、どんな選手が活躍しているのかまでは知らない人が多く、知名度がかなり低かったのです。
しかし、2008年の北京オリンピックで太田選手が銀メダルを獲得、2012年のロンドンオリンピックでも団体戦で銀メダルを獲得したことにより、知名度が一気に膨れ上がりました。太田選手の存在によって国内でのフェンシング人気も高まりました。

太田選手がフェンシングを始めたきっかけ

太田選手は、現在30歳であり、フェンシング選手としてもベテランの域に達しています。そんな太田選手が初めてフェンシングに触れたのは、小学生の時でした。父親に最新のゲーム機だったスーパーファミコンを買ってもらうという条件で、フェンシングを始めたそうです。
太田選手はすぐにやめるつもりだったそうですが、徐々にフェンシングにのめり込んでいきました。中学1年生の時に、インターハイで上位の選手に勝ってしまうなど、当時から非凡な才能を認められていたようです。

ロンドンオリンピックでの印象的な姿

フェンシングの試合において、多くの人の記憶に残っているのが、2012年のロンドンオリンピックの団体戦準決勝ではないでしょうか? 日本の対戦相手はドイツでした。ドイツは当時世界ランキング3位の実力を持っており、日本にとっては苦戦を強いられる相手でした。それでも離されないように必死にしがみつきましたが、残り9秒で太田選手が相手にリードを奪われてしまい、2点差を開かれました。当時テレビを見ていた人は、この時点でもう勝利は難しいと諦めてしまったのではないでしょうか?
しかし、太田選手だけは諦めていませんでした。乱打に持ち込み、残り6秒で1点差に縮めました。そして、残り1秒で、なんと同点に追いついたのです!その後、延長戦に進み、見事に勝利を勝ち取りました。最後まで諦めない太田選手の姿に、感動を覚えた人も多いと思います。

リオオリンピックの太田選手の調子は?

この10年で素晴らしい活躍を見せた太田選手ですが、すでに30歳を超えています。 ベテランの部類に入り、体力的にはかなり厳しいとみられています。
日本の中では現在でも上位の実力を持っているもののリオオリンピックではまさかの初戦敗退。 試合後に現役引退意向を表明しました。

まとめ

日本フェンシング界において太田選手の成し遂げた偉業ははかり知れません。
第二、第三の太田選手となるべく次世代の選手が成長し、日本フェンシングがさらに盛り上がっていってほしいですね。

以上「フェンシング銀メダリスト太田雄貴選手の功績」でした。

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