令和初の有馬記念は12月22日、中山競馬場
さあ、いよいよ有馬記念ウィークに突入だ。12月22日(日)、中山競馬場。競馬ファンでなくても注目する大一番には、選ばれし最強馬が集う。鞍上には騎手だけでなく、日本中から届く夢や願いを乗せている。
GⅠに常時参戦するような馬は有馬記念を終えると放牧に入る場合が多く、必然的に目イチの仕上げになる。最強馬同士が最高の状態で臨むのだから、歴史に残るような名勝負が多く生まれるのも当然だ。ここでは過去の代表的な有馬記念を振り返ってみたい。
さあ、いよいよ有馬記念ウィークに突入だ。12月22日(日)、中山競馬場。競馬ファンでなくても注目する大一番には、選ばれし最強馬が集う。鞍上には騎手だけでなく、日本中から届く夢や願いを乗せている。
GⅠに常時参戦するような馬は有馬記念を終えると放牧に入る場合が多く、必然的に目イチの仕上げになる。最強馬同士が最高の状態で臨むのだから、歴史に残るような名勝負が多く生まれるのも当然だ。ここでは過去の代表的な有馬記念を振り返ってみたい。
若い競馬ファンは名前を聞いたことがある、という程度かも知れないが、1977年の有馬記念はまぎれもなく歴史に残る名勝負だった。前年にクラシックを沸かせたトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスは「TTG」と呼ばれたライバル同士。3強が雌雄を決する大一番は、期待に違わぬ手に汗握るレースとなった。
「天馬」と呼ばれたトウショウボーイは1976年の皐月賞と有馬記念、翌77年の宝塚記念を制覇。その3レースでいずれも2着に敗れたのがテンポイントだった。トウショウボーイは同年の有馬記念で引退を表明しており、テンポイントにとっては雪辱する最後のチャンスでもあった。
1番人気に支持されたテンポイントはゴール前、トウショウボーイ(2着)、グリーングラス(3着)との激しい叩き合いを3/4馬身差で制し、見事に優勝。横綱同士の「巴戦」らしく、単勝200円、枠連240円の大本命決着だった。
徐々に高まっていた競馬人気を一気にヒートアップさせたのが1990年の有馬記念だろう。注目は「芦毛の怪物」と呼ばれたオグリキャップだった。
地方競馬の笠松で12戦10勝という驚異的な成績を残して1988年に中央競馬に移籍すると、一気に6連勝をマーク。その年の天皇賞(秋)は2着、ジャパンカップは3着だったが、有馬記念を制してGⅠホースの仲間入りを果たした。
翌89年もマイルCS、90年の安田記念も勝ったが、徐々に成績は下降線を辿る。勤続疲労か、故障の影響か、同年秋は天皇賞(秋)でデビュー以来ワーストの6着に終わり、ジャパンカップは11着と惨敗。引退レースとして臨んだのが有馬記念だった。
ファン投票では1位だったものの、単勝は4番人気だったことが当時の状況を物語る。「勝ってほしいけど無理だろうなあ」。そんな心境のファンがほとんどだったのではないだろうか。
しかし、この日のオグリは違った。3コーナー手前から武豊のゴーサインに反応するとスルスルと上がっていく。ゴール前で抜け出すと、3番人気のメジロライアン(2着)、1番人気のホワイトストーン(3着)を抑えて1着でゴール。超満員のスタンドから「オグリコール」が沸き起こり、馬券を握りしめて涙を流すファンの姿もあった。
無敗でクラシック3冠を達成した父シンボリルドルフの血を受け継ぐトウカイテイオーは、1990年12月のデビューから5連勝で皐月賞、6連勝でダービーを制した人気馬だった。
親子二代の無敗3冠は骨折のため断念し、秋は全休明けの翌92年。天皇賞(春)は人気を分けたメジロマックイーンの5着に敗れた。さらに休養明けの天皇賞(秋)も7着に沈んだが、同年秋のジャパンカップで復活勝利。続く有馬記念は1番人気に押されながら11着に惨敗するという乱高下ぶりだった。
レース後、またしても故障が発覚したため長期休養に入り、復帰戦が翌年の有馬記念。菊花賞馬ビワハヤヒデやダービー馬ウイニングチケットが人気しており、テイオーは4番人気だった。
実に364日ぶりのレース。出走14頭のうち8頭がGⅠホースという豪華な顔ぶれの中で、主役を務めたのはテイオーだった。ゴール前、かつての主戦騎手だった岡部幸雄が乗るビワハヤヒデをかわすと、実況のフジテレビ・堺正幸アナウンサーは驚いたように声を上ずらせながら「奇跡の復活!」と絶叫。中363日でのGⅠ制覇は今でも最長ブランク記録として残っている。