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ガールズケイリンのこれまでの歴史を見ていきましょう!

2017 1/25 10:28
競輪
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Photo by Herbert Kratky/Shutterstock.com

競輪というと男子のイメージが強いかもしれません。しかし、今や女性レーサーも多くいるんですよ。ここでは、ガールズケイリンのこれまでの歴史を紹介していくことにします。これであなたも応援したい女子選手ができるかも!

ガールズケイリンへたどり着くまでの道のり!

競輪は、戦後の1948年に立川競輪場で開催されて以来70年近く続いている歴史ある競技です。その中で、女子選手の競輪も15年間は男子とともに開催されていました。しかし、男子の低迷時期と重なりますが、女子においても人気が低落し、1964年で一度その開催に幕を閉じることになるのです。
その後、1980年の競艇ブーム到来で女子選手が活躍したのと同時に、当時の女子選手・橋本聖子選手や大菅小百合選手の夏冬オリンピックの活躍もあり、女子競輪開催へ向けて準備が進められていくことになります。

再びガールズケイリンがよみがえる!

2005年以降、日本自転車振興会会長に就任した下重会長が、女子競輪復活へ向けて動き出し、2008年から各地の競輪会場で、日本で活躍する女子競輪選手を派遣し、エキシビジョンを行い始めました。2011年までエキシビジョンを続けた成果が実を結び、ついに2012年にガールズケイリンとして女子競輪の歴史が幕を開けることになりました。
記念すべき第1回大会は、平塚競輪場で総勢33名により開催されたのです。男子同様に審査登録制度を設けており、毎年20名前後がデビューを飾っています。

ガールズケイリンの底上げ!

日本女子競輪界では、佃選手と和田選手の北京オリンピック出場を契機に女子自転車選手の強化のためエキシビジョンを行ったり、また、その後もオリンピックをにらんで、中心選手を育てていく方針が組まれていきます。
2008年7月から9月にかけてサマービーナスシリーズを開催したり、翌2009年には1月から3月までVenus Seriesも全6戦各地で行われ白熱したレースが会場のファンを魅了しました。このような強化と取り組みが女子競輪の基礎を作り上げたといえるのです。

ガールズケイリンの2009年!

女子競輪界にとってこの2009年は、ガールズケイリンを立ち上げるにあたってきわめて重要な1年だったといえます。その前年にサマービーナスシリーズとして3戦行われたことを受け、さらに中身の濃いシリーズとして開催されたのが2009 Venus Seriesです。
大会は京王閣、立川、高松、千葉、松山、名古屋の全部で6大会あり、同様に合宿も6回行われるほどの力の入りようでした。大会は1日で予選と決勝を行うハードな内容でしたが、観客も味方につけ大いに盛り上がりを見せたのです。

ガールズケイリンの今後の展望!

ガールズケイリンが復活し、女子自転車競技が見られるようになりました。通常の大会では、1開催ごとに2レース行われます。2014年には、オールガールズシリーズが開催。2016年には、1概定番組(レースの格付けや勝ち上がりの条件を設定した、予め作られている番組(組み合わせ)の規定)の42選手が戦う形で行われたガールズドリームトーナメントが行われました。
今までは、男子選手のイメージが強かった競輪ですが、女子選手の活躍により、華やかなイメージもついてくるようになっています。応援している選手を目当てに会場に足を運ぶファンの姿もあり、今後ますますの盛り上がりを期待したいですね。

まとめ

以上、ガールズケイリンのこれまでの歴史について紹介してきました。男子と同様に開催されていたものの、一度は開催が閉ざされてしまった女子競輪界。2011年からガールズケイリンとして再び表舞台に立つこととなりました。今後が楽しみですね。